2018-02-27

自分の優位性がない場所にいると、やがて生活できなくなる


ある特別な技術を習得しても、大量の人間がそこに参入してきたら自分自身の優位性は低下し、買い叩かれ、やがて賃金低下に見舞われていく。

たとえば、1990年代はパソコン操作に習熟しているというのは「すごいこと」だった。だからパソコンが使える人は重宝され、技術者としての給料もそれなりに高かった。

しかし2000年に入って誰もがパソコンを使えるようになっていくと、パソコンを知っているくらいでは優位性がなくなった。それが使えるというのは常識になったのだ。

また、1990年代まではエクセル・ワードができればそれなりに仕事があった。しかし、やはり2000年代以降はエクセル・ワードができたところでは大して優位性がなくなった。

もう誰もが普通に使うようになっているので、それが使えるくらいでは何の売りにもならなくなったのだ。

2000年代前半まではウェブ・デザインの知識を持っている人間は稀少だったので、それだけで食べていけたデザイナーは多かった。それは大きな優位性であった。

ところが、誰もがこの分野に参入した結果、もはやウェブ・デザインだけでは食べていけない時代になった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

供給が過剰になっていくと、食べていけなくなる


誰もが殺到する分野では、裏の裏まで知っているような専門家にでもならない限り、それで食べていくというのは至難の業になってしまう。

これは資格にも言える。ある資格を取得しても、誰もがその資格を持っているのであれば資格保有の優位性がなくなり、利益は減っていく。

弁護士も、公認会計士も、税理士も、それが「食いっぱぐれがない」資格であると言われるようになって、誰もがそこに殺到した。

しかし、これによって供給が過剰になって「食べていけない」人が続出するようになった。

供給過剰になった結果、仕事の取り合いになった。そのため、背に腹はかえられない状態となって価格を下げることによって対応しようとし、安売り競争に巻き込まれ、どんどん苦境に堕ちていったのだ。

「溢れるほど大量にあるもの」で生きようとすると、その時点で競争に巻き込まれて厳しい人生となる。自分の保持している技術や資格の優位性が消えるのだから当然だ。

大量に供給されるものは、やがて価値が消えていくのは世の中の宿命なのだ。

たとえば、大量に収穫された野菜は供給過剰となって、市場価格は捨て値同然と化す。あまりに激安になるので農家は市場に出さないで廃棄するほどだ。

あるいは、供給過剰の大量生産品はやがて捨て値のような低価格で供給されるようになる。

大量供給の中では価値の優位性を保持できなくなり、やがて価格競争になる。つまり「安物」になる。技術や資格でも状況はまったく同じで「供給が増えれば優位性は消える」のだ。

本当のことを言えば、誰もがそれを知っている。それなのに、人は「優位性がすでに消えている技術・資格・仕事」に関わってしまうことが多い。

なぜ、そんなことになってしまうのか?

誰もがやっていることをやると何となく安心できる


「他人と同じこと」をしたら優位性が消える。結果として安物化していく。こうした現象は知っていても、それでも人間は「他人と同じこと」をしたいと考える。

それは、人は社会的な動物だからだ。

社会的であるということは、社会に協調して生きているということでもある。自分が社会に協調することによって、社会に受け入れてもらっている。

協調するというのは、他人を真似るということである。誰もがやっていることをやると何となく安心できる。人間は無意識にそのような心理になる。

「みんなやっている、みんな乗っている、みんな熱狂している」ときに、自分だけ醒めた目で見つめることができる人は、そうザラにいない。

しかし、「誰もがやっている」ところに飛び込むと、それこそが「溢れるほど大量にあるもの」の中に自分から飛び込んでいくことになってしまう。

これは仕事でも同じだ。

誰もがやっている仕事は、誰もができる仕事でもある。つまり、すでに「溢れるほど大量にあるもの」である。そんなところに飛び込んでいくのだから、自分から優位性を捨てているのも同然なのだ。

誰でもできる仕事はすぐに低賃金化する。安い賃金でやる人がいくらでも見つかるからだ。だから、誰でもできる仕事、誰もがやっている仕事しかしていないとワーキングプアになってしまうのである。

それを打開するために何か資格を取って自分の価値を高めようと思っても、その資格を取る人間が多すぎてすでに供給過多になっていたら、優位性を手に入れることができない。

他人と同じことをしているというのは心地が良い


人は「他人と同じ」ことに安心感を得るので、無意識に流されて生きていると、どうしても無難に他人と同じことをするようになりがちだ。

気が付けば、優位性がまったくないところで生きることになり、やがて大勢に埋もれて首が絞まっていくことになる。

大量にある商品が価格が捨て値のような低価格に収斂していくのと同じく、他人とまったく同じことをしていたら自分自身も同じように安物になっていく。

他人と同じことをしているというのは心地が良い。何も考えなくてもいいからだ。「考えなくてもいい」というのは楽ができるということである。

今まで、日本人の誰もがサラリーマンになっていたというのは、サラリーマンでいたら定年まで面倒を見てくれたから、生き方を模索しなくても良かったからだ。

それは、自動的に「安楽な暮らしができる」職業だったのである。だから、誰もがサラリーマンになりたがった。その結果、日本人の8割はサラリーマンになるような時代が到来した。

しかし、今後はサラリーマンで食べていけない人が続出するようになっていく。サラリーマンという職業そのものがすでに優位性を失っているからである。

企業は今後、雇用を排除するイノベーションを加速させ、第4次産業革命の時代に入る。(ダークネス:すぐに第4次産業革命が来る。自分を高度化させないと死ぬ

人工知能の普及、ロボット化、自動化、自律化が突き進み、人間だけでなく「モノ」まで自発的にインターネットにつながっていく。

これからそうなるとサラリーマンは常に効率化と合理化の波の中で人員削減される対象となっていく。

自分自身が「溢れるほどたくさんあるもの」のひとつになっていないか、これからそうならないか、よく考えなければならない時期に来ている。

自分自身の優位性がない場所に安住すると、やがて生活できなくなっていくからだ。

今は世の中の変わり目にある。ここで道を間違うと、今後の人生において首が絞まっていくことになる。(written by 鈴木傾城)


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自分自身が「溢れるほどたくさんあるもの」のひとつになっていないか、これからそうならないか、よく考えなければならない時期に来ている。自分自身の優位性がない部分に安住すると、やがては生活できなくなっていくからだ。


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