2018-02-24

情報が飛び交う中で情報を遮断する時間が必要な理由とは?


アップルの創始者スティーブ・ジョブズは、その自伝の中で深い影響を受けた著書として『禅マインド ビギナーズ・マインド』をあげており、自らは日常的に瞑想を取り入れていたことが分かっている。

瞑想とは何か。それは静かなところで目を閉じて「深く思いを巡らすこと」「無心になること」である。瞑想とは外界の情報を自らシャットアウトすることであり、それを積極的に作り出すことである。

ところで、スティーブ・ジョブズのライバルと言えばビル・ゲイツだが、皮肉なことにビル・ゲイツもまた瞑想を行って思考を深める習慣があることが分かっている。

経営者の多くは分刻みのスケジュールで動いており、常に大量の情報の中で判断を迫られる。時には会社の存続がかかるような重い決断をしなければならないことも多い。

決断をするというのは「腹をくくる」ということでもあるが、腹をくくるために彼らがしているのは、より大量の情報を集めるのではなく、逆にすべての情報をシャットアウトして瞑想するのである。

ところで、日本が生んだ名経営者と言えば現代は稲盛和夫氏が挙げられるが、この稲盛和夫氏もまた著書の中で「毎朝、瞑想をする習慣がある」と記している。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

正しい判断をするために、すべての情報を閉ざす?


名経営者と言えば「今は稲盛和夫氏かもしれないが、松下幸之助も絶対に挙げるべきだ」という人もいる。それに異を唱える人はほとんどいないだろう。

では、この松下幸之助氏はどうだったのか。実は、松下幸之助氏もまた「毎朝、瞑想を行っていた」ことが知られている。

それだけでなく、根源の社(やしろ)という神社形式の施設を作って、そこでもしばしば瞑想していたことが松下幸之助氏の秘書であった江口克彦氏が著書で語っている。

この松下幸之助の母艦企業であった松下電器のライバルはソニーだったが、ソニーの創業者のひとりは井深大(いぶか・まさる)氏である。興味深いことに、井深大氏もまた瞑想をしていた。

実業というのは、経営者の判断ひとつで会社が傾いたり伸びたりする。致命的に判断を間違うと、自分だけでなく多くの社員が路頭に迷う。責任は重大だ。

膨大な情報が飛び交い、その中から正しい道を選択しなければならなかった名経営者の多くが、正しい判断をするために「すべての情報を閉ざして瞑想していた」というのは興味深い事実であると思わないだろうか?

大量の情報に接した後、彼らはしばしば「外部からの情報を断ちきって考える時間」を作り出していたのである。

実は経営者だけではない。哲学者や科学者の多くは、静寂と孤独を好み、その際には一切の情報を遮断している。あるいは、極限での判断を迫られるアスリートの多くも、瞑想を取り入れて感覚を研ぎ澄ましている。

「情報を入れない」というのは、高度情報化社会の中では不利なことをしているように見えるかもしれない。

しかし、それは本当に「不利なこと」なのだろうか。

もしかしたら、大きな勘違いをしている可能性はないだろうか。大量の情報を一方的にどんどん取り入れるというのは、本当に正しいことなのだろうか。


情報を知識に転換させるために必要なこと


朝から晩までテレビを見ている人がいる。この人たちは24時間「情報」に接している。では、この人たちは1年もしたら深い知識と思考能力を手にしているのだろうか。

いや、テレビは見れば見るほど馬鹿になる。テレビの長時間視聴は「頭を悪くする」のである。(ダークネス:テレビが人間を愚鈍にさせるというのが科学的に証明された

いくら大量の情報に接しても、人はそれで知識人になったり、思慮深くなるわけではない。むしろ、何も考えられなくなってしまう。これは、いったいどういうことなのだろうか。

現代人の多くは、大量の情報に埋もれて知識を得たと満足を得ている。しかし、いくら大量の情報をインプットしたところで、それで知識となることも思慮深くなることもない。

情報は外からやって来る。だから、知識を得るためには、まず最初に外側にある情報を得なければならない。

しかし、情報を取るだけでは駄目で、情報を知識に転換させるには、頭の中で「情報について考える」という行為が行われなければならない。

いくら情報があっても、単純にそれが知識となるわけではない。情報と知識の間にひとつの重要な行為が入っていなければならない。それが「思考」だ。

得た情報によって思考し、それが深まったところで知識へと昇華していく。どんなに情報がたくさんあったとしても、「考える」という行為が間に入っていなければ、それは知識として身についていかない。

情報が自分に重要ではなかったり、関心がなかったり、理解できなかったりすると、右から左に出て行って自分の中に何も残らない。

考えるという行為がなければ、知識にならない。

大量の情報が自分の中に流れ込んでくると、それを消化することができなくなる。つまり、考えるという行為が追いつかなくなってしまう。

それだけではなく、もっと恐ろしいことがある。

自動的に「考える」ことを止めてしまう脳


あまりに大量の情報が、毎日のようになだれ込んでくると、いったいどうなってしまうのか。

許容量を超えた情報が入ると、脳はそれを解釈したり考えたりすることができなくなってしまう。そうすると、自動的に「考える」ことを止めてしまうのだ。

これは誰でも経験があるはずだ。

たとえば、一度に10人も20人も自己紹介されたら、途中で覚えられなくなってしまって、結局全員の名前を忘れてしまうようなこともある。

新しい仕事や作業の手順を上から順番に大量に説明されたら、覚えきれなくて、全部忘れてしまうことも珍しいことではない。こういったケースは、多かれ少なかれ誰もが経験する。

許容量を超えると脳は動きを停止させる。解釈できる以上の情報がなだれ込んで来るので、自己防御のために「反応しない」ようになる。

コンピュータは熱暴走すると止まってしまうが、あれとよく似ている。脳は自分が壊れかねないほどの大量情報がインプットされると、自らを守るために動きを停止させてしまう。

これが繰り返されると、どうなるのか。なんと「情報が入ってくると、考えない」という条件反射を脳が覚えるようになってしまうのだ。

自分が意識してそうしているのではない。脳が勝手にそうしている。つまり、無意識にそうなる。そこが恐ろしいところであり、危険なところでもある。

自分が意識しない間に、脳は「考えない癖」を身につけてしまうのだ。

朝から晩までテレビを見て大量の情報を手に入れている人が、どんどん知識を増すどころか、逆に呆けたような状態になってしまうのはそこに理由がある。

大量の情報によって脳が反応することをストップして、逆に考えられない人になっていくのである。

思考がはさまっていないと情報は知識にならない


テレビを見ると馬鹿になるというのは、テレビ番組が馬鹿げているというだけではない。

大量情報がインプットされることによって、脳が防御のために停止してしまうことにも問題がある。

大量の情報がなだれ込んでくる媒体はテレビだけではない。インターネットもそうだ。ラジオもそうだ。ゲームもそうだ。

朝から晩まで目的もなくテレビを見たり、意味もなくインターネットを見て回ったり、やみくもにゲームに没頭していたりすると、そこから大量の情報が入ってきて、脳は自分でも気付かない間にシャットダウンされている。

だから、ただ大量情報を流し込む環境にいても、情報が知識に転化することはない。思考がはさまっていないと情報は知識にならない。

情報を得ると、まずは「立ち止まって考える」という重要な行為がはさまっていなければならない。そして言うまでもなく、考えている間は他の情報、余計な情報のインプットを一時的に止めなければならない。

新しい情報に接するのではなく、逆に新しい情報が入ってくるのを遮断して、手に入れた情報を多角的に考える。そうやって、知識は身につく。

それが分かっていたからこそ、多くの成功者は意図的に瞑想というスタイルを取り入れることで「情報をシャットダウンする機会」を作り出していたのだ。

考えるというのは集中力が重要だ。集中力が思考の深さになっていく。そして、この思考の深さが知識の深さになる。

大量の情報に接したら知識が深くなるのではなく、ひとつの情報の前で「どれだけ深く考えたのか」で知識の深さが違ってくるのである。

このことが分かると、大量の情報をあえて遮断しなければならない意味が分かるはずだ。

大量の情報をシャットアウトする方法はいくらでもある。瞑想は効果的な方法だが、それ以外にも、完全な孤独(ひとり)になったり、座禅を組んだり、散歩の時間を作ったりすることで、それは作ることができる。

その人なりにやり方は違っても、そうやって「あえて情報を遮断」していることに気付かなければならない。その時間は「思考」の時間なのである。

あなたは、「思考」の時間を、持っているだろうか?(written by 鈴木傾城)


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大量の情報に接したら知識が深くなるのではなく、ひとつの情報の前で「どれだけ深く考えたのか」で知識の深さが違ってくるのである。このことが分かると、大量の情報をあえて遮断しなければならない意味が分かるはずだ。


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