2017-12-11

「世の中を見通す能力」など求めても手に入らないのが現実


人間はまわりの状況をコントロールできない。これは、どんな権力者であっても同じだ。だから、将来がどうなるのかなど、誰にも分からない。

世界に君臨する国家アメリカの、さらにそのトップにあるドナルド・トランプ大統領ですらもそうだ。

大統領が信頼できると考える人間を集めて政治活動をしても、不確定要素が山ほどあって状況をコントロールできず、結果として最悪の事態に陥ったりする。

アメリカの金融企業が、あるいは世界経済に君臨する一部の財閥が、世界を「こうしたい」という計画を作ってそれに邁進したとしても、やはり実現できないものも多い。

どれだけ有能で、どれだけ将来を見通す能力があっても、どれだけ実務能力があっても、自分の人生は思う通りにはならないのである。

また、将来どうなるのか、予測はできても、その通りになることなど絶対にない。来年どうなるのかどころか、明日どうなるのかすらも分からないことが多い。

約束されていることが実現できず、起きないと思っていたことが起きるのが世の中の常である。


反応できる人はいるが、見通せる人はいない


綿密な計画、万全の準備、抜群の才能、強大な資産と権力。何もかも持ち合わせていても、たったひとつの誤算がすべてを狂わせていく。誰の人生も、順風満帆ではない。

ある分野で頂点に達した人間であっても、その頂点が維持できるわけでも何でもない。

予期せぬ事件や事態が重なって、計画を立てた時とはまったく違う状況になっていく。

妥協を余儀なくされ、末節の部分の一部は挫折し、一部は延期され、「こうしたい」という計画は最初とまったく違う形になってしまう。

だから、重要なのは「世の中を見通す能力」ではないことに気が付かなければならない。世の中に「反応」できる人はいるが、「見通せる」人はいない。

そもそも、将来を見通すことができれば、大学教授も評論家もアナリストも投資家も新聞屋も、全員まとめて超大金持ちになっている。

どこかの偉そうに御託を並べている評論家や新聞屋が誰も世界に君臨する大金持ちになっていないのは、世の中が見通せないからである。

日本では日経新聞がしばしば経済予測を書いていたりするのだが、当たることなどほとんどない。

そこに登場する専門家もひどいものだ。為替の予測にしても、誰ひとり当たらない。たまに「まぐれ」で当たることはあるが、その後は次々と外すのだからまったく当てにならない。

世の中で起きていることを分析し、予測を立てることはできる。大雑把に、「こうなるかもしれない」と考えることができる。しかし、どうあがいても絶対にその通りにはならない。

未来は何でもかんでも決まっていると思っているのは、子供か、学生か、カルト教団の信者くらいだ。

現実を見ると、歴史はどうでも変わるし何でも起きる。預言も予言もない。だから、私たちが求めなければならないのは、間違えても「世の中を見通す能力」ではないのは確かだ。

私たちが求めなければならない能力は何か


正確に予測しようとしても必ず外れる。せいぜいできるのは、「素早く反応する」くらいである。しかし、その反応も場合によっては裏目に出る可能性もある。

将来はまったく何も決まっていないから、反応の方向もしばしば間違うのである。

そうであるならば、世の中がどうなるのかは正確を期しても意味がないわけで、せいぜい「大雑把に予測する」くらいが適当なところだ。

さらに言えば、その予測すらも「当てにならない」と思うくらいの姿勢でいた方がいい。

その代わり、私たちが求めなければならない能力は何か。それは、「想定外が起きても、そこから態勢を立て直す能力」でしかない。

私たちは、それなりに将来のことを考えるので、不測の事態に備えて何らかの準備をすることもできる。ところが、世の中は私たちの準備すらも上回る事件がしばしば起きる。

すべての分野に関して、想定外は起きる。

だから自分の想定以上のことが起きても、そこから事態を立て直す能力が必要になって来る。追い込まれても、そこから粘り腰で生き抜く能力が必要なのだ。

想定外から事態を立て直す能力というのは、苦境の中でサバイバルする能力であると言い換えてもいい。

不意打ちを食らった瞬間であっても、自分の身に起きていることを客観的に見つめる。そして、その時点でベストの選択をする。これがサバイバルの能力だ。

現実を生きるというのは、まさに今の自分の逆境を切り抜ける能力を持つということでもある。今は順調でも、誰もが必ず逆境に落ちる。その中で、私たちは生き残る能力を持たなければならないのである。

受けたダメージを客観的に見つめて復活する能力


予測できない打撃を食らうと、その瞬間に今までの順風が吹き飛ぶ。打撃が大きいと、今まで持っていた楽観も、予定も、計画も、何もかもが吹き飛んでしまう。

それこそ、人生における絶頂期に、突如として予測もしなかった打撃を受ける人もいる。最も幸せな瞬間が、一瞬にして崩れる瞬間だ。

あるいは、今まで何とか耐えてきたものが、不意の打撃によって崩れ、大きなダメージとなる人もいる。何とかしのげると思っていたものが崩れ去る瞬間だ。

世の中が予期できないということは、誰もがこの「不意打ちの打撃」を味わうということである。

これに対しては、準備することすらも不可能だ。準備できるというということは、予測できるということだ。予測できないというのは、準備すらもできないということなのである。

だからこそ「態勢を立て直す能力」が生きてくる。その能力があれば、受けたダメージを客観的に見つめ、そこから復活することができる。

今の私たちに重要なのは、アナリスト(予想屋)になることではないのだ。そんな能力をどれだけ磨いても無駄だ。それは必要最小限でいい。

私たちが今の時代を生きる上で求められているのは、不意打ちのダメージからの「体勢立て直し能力」なのである。自分の受けた致命的なダメージさえも克服できる能力こそが、先の分からない時代に重要視される。

もちろん先を見通す能力を磨くのは無駄ではないし、ある程度の予測能力があっても邪魔にはならない。

しかし、予測を超える不測の事態が次々と起きる複雑化した現代社会においては、無駄に予測するよりも、受けた打撃から復活する能力の方を重要視した方が何かと役に立つ。それが、私たちを救う。

まさか、来年の動きが読めるとか思っていないだろうか。はっきり言おう。誰も来年に何が起きるのか読めない。場合によっては起きないと思っていた想定外が起きて、手ひどいダメージを受けることもあり得る。

「態勢を立て直す能力」が予測するよりも重要だと考えるのが現実主義者の生き方だ。



予測を超える不測の事態が次々と起きる複雑化した現代社会においては、無駄に予測するよりも、受けた打撃から復活する能力の方を重要視した方が何かと役に立つ。それが、私たちを救う。


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