2017-10-30

たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う


弁護士も、税理士も、会計士も、その資格で食えなくなったのは、資格者が大量に増えたからだ。

資格を取っても、他にその資格保持者が大量にいたら仕事が回ってこない。仕事はそんなにあるわけではないので小さなパイの奪い合いになるのだ。そうすると仕事の単価は安くなり、あぶれた人は無職になる。

「溢れるほどたくさんあるものは価値がなくなる」

誰でもできる仕事の単価が安いのも、補充がいくらでもきくからだ。どんなに賃金を安くしても、それをやる人がいる。だから単価はじりじりと安くなっていく。

これは、すべての人間が知っておかなければならない不変の事実だ。

「溢れるほどたくさんあるもの」に人生を賭けているのであれば、その時点で苦闘の道を歩むことになる。競争相手が無限に存在すると自分の価値が保てないのである。

たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う。

これは生産に関わっている人間であれば、本能的に理解できる現象だ。市場に同じ製品が溢れれば差別化が難しくなり、あとはコスト削減で勝負するしかなくなる。


他人と同じことをしていると自分が陳腐化する


コスト削減は、常に正しい生き残りに見える。

しかし、同業他社も必死でコスト削減に励むので、結局は最後に「合成の誤謬」に見舞われる。商品が丸ごと陳腐化・安物化してしまう。

よく知られているのは農作物だろう。

その年にミカンやリンゴやコメが取れすぎると、生産者は誰もが売れ残りを避けるために、値下げして他より優位に立とうとする。他も同じことを考える。すると、最後には必ず投げ売りになる。

そうなると生産者のすべてが儲からなくなってしまう。「豊作貧乏」とは、そのような理屈から生まれた言葉だ。

これは職業でも言える。

誰もがサラリーマンになりたがるのが日本社会の特徴だ。しかし、サラリーマンが増えれば増えるほど、この職業は陳腐化していく。

やはり最後には価格競争(賃金低下)に巻き込まれる。今、まさにその労働価値の低下が起きている最中である。

これは技術でも言える。

ある技術を習得しても、その技術を知っている人間が大量に生まれたら、その技術は価値がなくなる。買い叩かれ、やがて賃金低下に見舞われる。

つまり、「溢れるほど大量にあるもの」に関わると、その時点で将来がなくなる。他でもない、自分自身が陳腐化してしまうのだから当然だ。

陳腐化してしまった時点で、その場所で生きるのは実りのない苦しい戦いになる。

いったい、どうすればいいのか。

陳腐化した場所、技術、仕事から逃れるしかない。自分が陳腐化しないための訓練、自分が陳腐化するものに巻き込まれないための訓練が必要になっていく。

人は往々にして、社会的流行に巻き込まれる


そもそも、人はなぜ「溢れるほど大量にあるもの」に知らずして関わってしまうのか。なぜ他人と同じことをして自分自身を陳腐化させてしまうのか。

それは、人は社会的な動物だからだ。社会的であるということは、社会に協調して生きているということでもある。

自分が社会に協調することによって、社会に受け入れてもらっている。だから、人は往々にして協調しすぎてしまい、その結果他人と同じになって陳腐化する。

他人と同じになると、社会的流行や社会的熱狂にも簡単に巻き込まれる。

社会がひとつの方向に向かって走り出して何かが大流行して拡散していくと、みんなが訳も分からずに熱狂する。それを見ている人は「バスに乗り遅れるな」という心境に陥ってしまう。

熱狂とは、伝染するものなのだ。

「みんなやっている、みんな乗っている、みんな熱狂している」時に、自分だけ醒めた目で見つめることができる人は、そうザラにいない。

たとえば、金融市場ではしばしばバブルが発生する。意味もなく、根拠もなく、理由もなく、どんどん値を上げていく金融商品がある。

そうすると、理由は分からなくても「上がっているから買う」「誰もが買っているから上がる」という熱狂が発生する。そして価格は雲の上まで到達するのである。

実際、多くの人はそれを分かっているが、分かっていながらそこから逃れることができないでいる。

なぜなら、ひとつの方向に向かって社会が動き出していると、どうしても無批判にそれに乗ってしまうからだ。

熱狂が冷めてから初めて人は「あれは下らないものだった」と批評できる。しかし、熱狂の最中にはそれが気がつかない。

陳腐化は淘汰の兆しであるという事実を忘れさせる


一番いいのは、「溢れるほどたくさんあるものは価値がなくなる」ことを自覚して、そこから離れることなのだが、それをするには訓練がいる。

無意識に流されて生きていると、どうしても巻き込まれてしまう。だから、そうならないように「訓練」しなければならないのだ。

・流行に巻き込まれない訓練。
・一歩引いて考える訓練。
・群衆に飲まれない訓練。
・同調しない訓練。
・バブルに乗らない訓練。
・他人を無防備に信じない訓練。

何でもかんでも他人と反対の意見を持つべきだとか、他人の反対のことをすべきだということではない。そんなことをしたら、社会から排除される。

重要でないところは常識的な判断で従ってもいい。

しかし、「それは陳腐化しつつある」と気付いたのであれば、決して同調しないようにする訓練が必要なのだ。

陳腐化しているものは、いつ暴落するのかは分からないが必ず暴落する。だから、関わっているものが陳腐化していると気付いたのであれば、そこから離れなければならないのだ。

他人が熱狂している時にこそ離れる。それは、他人の判断よりも自分の判断が重要だと思わないとできない。

簡単なようで難しい。

バブルを見て乗らない勇気、バブルに乗っていると気付いた時は降りる勇気が必要なのだ。

自分を見失わず、冷静な目で世の中を見つめることができれば、それに流されることはない。むやみに同調することもなければ、雰囲気に飲まれてしまうこともない。他人を盲目的に信じることもない。

訓練によって、社会の同調圧力から自分を引き離さないとならないのだ。そうしなければ、自分が社会に踊らされ消費され、陳腐化していると気がついた時には手遅れになっている。

しかし、多くの人は自ら陳腐化の渦の中に飛び込んでいく。「誰もがやっている」という熱狂が、陳腐化やバブルは淘汰の兆しであるという事実を忘れさせる。

しかし、「たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う」という法則は必ずどこかで発令されるのだ。自分が「陳腐化したもののひとつ」にならないために、目を覚まさなければならない。



その年にミカンやリンゴやコメが取れすぎると、生産者は誰もが売れ残りを避けるために、値下げして他より優位に立とうとする。他も同じことを考える。すると、最後には必ず投げ売りになる。


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