2017-10-14

「有害な存在を排除する」という考え方は基本的には正しい


「希望の党」に有害極まる民進党の議員が大量になだれ込んでしまった中で、小池百合子は「政策や理念が合わなければ排除する」と言ったことで大批判を浴びている。

マスコミはこれを指して小池百合子を狭量な排除主義であると批判を始めるようになり、ここから希望の党は迷走し、失速していった。

ところで、マスコミがこの「排除する」発言を問題視したのは、排除される対象が民進党の議員だったからである。

もし小池百合子が保守派を排除する意味でそれを言ったのであれば、今ごろは「あっぱれだ」と絶賛していただろう。

反日勢力に乗っ取られたマスコミは、反日勢力の牙城である民進党を少しでも生かしたいわけで、だから民進党の議員を「排除する」という小池百合子を許せなかったということだ。

「排除するというのは寛容ではない」どころか、「小池百合子はレイシスト」と吐き捨てるジャーナリストもいた。「排除=差別=レイシスト」という論理だ。

しかし、「合わない人間を排除する」というのは、別に狭量なことでも差別でも何でもない。なぜなら、すべての「集まり」は実は「合わない人間を排除する」ことで成り立っているからである。


「排除できなかった」のが小池百合子の失敗だった


サークル、グループ、団体、組合、組織、企業、企業団体、連合等々、すべての「集まり」は何らかの目的や理念を同一にすることで成り立っている。

趣味のサークルでも、たとえば野球をすることが目的のサークルであれば、野球をするために集まる。サッカーをしたい人がそこに入って「野球ではなくてサッカーをしよう」と言っても仕方がない。

野球をするのが目的のサークルでは、それ以外のものをしたい人は「排除される」のである。

合わない人間は、そもそも最初から入れないのだが、勝手に入ってきて「違うことをしたい」と言い出したら排除するしかない。目的がまったく違うのだから当然だ。

野球サークルに入ってサッカーをしたいとわめく人間は、厳かに排除されていくのである。その逆も然りだ。サッカーのサークルに野球をしたいと主張する人間が入れば、出ていってもらうしかない。

すべての「集まり」は、目的があり理念がある。

その目的や理念に合わないのであれば入るべきではないし、入って違うことを言うのであれば排除されても文句を言うべきではない。それは「差別」ではないし「狭量」でもない。

方向性が違う異分子が入ってきても、それを放置していたら組織は成り立たない。

それが原因で組織は瓦解する。だから、有害な存在を組織から排除するというのは必要不可欠な権利であり、それは正当なものである。

つまり、小池百合子が保守の党を作ろうと計画を立てて、そこで「憲法改正を支持すること」「消費税の増税に反対すること」「外国人の地方参政権に反対すること」等の協定書にサインさせて結束を図るのは、別に当たり前のことだし、取るに足らないことだ。

納得できなければ方向性が違うのだから入らなければいいし、入ったらとやかく言うべきではない。

それなのに選挙で生き残りたいがためにサインして、その後で「希望の党は自分の主張と違う」とわめき散らすのが民進党の議員である。

小池百合子の失敗は、こんな民進党の議員を大量に受け入れたということにある。「排除する」と言ったのが失敗なのではなく、「排除できなかった」のが失敗だったのである。

有害な組織は最後に「排除」されることになる


「有害な存在を排除する」という考え方は基本的には正しい。有害な存在を1人でも入れてしまうと、その1人が組織の目的や方向性をブレさせて組織が動揺したり、亀裂が走ったり、本当は必要な人が欠けたりする。

その有害な1人が仲間を引き入れたりすると、組織はどんどん汚染され、腐敗していく。方向性の合わない人間は、組織にとっては「有害」なのである。

組織に反社会的な人間が入ったらどうするのか。それは「排除」されなければならない。そうしないと、その反社会性が組織の体質だと思われ、組織全体が不利益をこうむるからだ。

組織にまったく何のやる気もない人間が入ったらどうするのか。やはりそれは「排除」されなければならない。そうしないと、組織全体が怠惰にルーズになってしまうからだ。

もちろん、組織にも多様性が必要である。しかし、多様性と組織の目的や理念のどちらが優先されなければならないのかというと、言うまでもなく目的や理念の方だ。

目的や理念が一致する多様な人がいる組織が健全なのであって、多様だが目的も理念も一致しない組織は、ただの烏合の衆であって健全ではない。

目的や理念が違うのであれば、同じ組織である必要性がない。だから、すぐに腐敗し、混迷し、壊れ、消えることになる。

多様性を訴えるグーグルでさえも、「女性はプログラムに向いていない」と意見を出した男性をすぐに解雇した。

「多様性が大事だと言いながら、特定の意見を持った人間は排除するのか?」と解雇された男性は叫んだが、組織と合わない思想や意見や主張をする人間は、最終的に組織を損壊させるので「排除」せざるを得ないのである。

自社に合わない意見を持つ社員を「排除」しないとまとまりがつかない。だから、組織は生き残るために有害な存在を排除し、それによって組織を存続させる。

もし、その組織の存在自体が有害であったらどうなるのか。組織が有害であれば、社会が組織を排除する。社会を成り立たせるために、社会は有害組織の存続を許さないのである。

民主党が国民から排除されたように、有害な組織は最後に「排除」されることになる。

有害であると思えば、排除を決断する必要がある


これを逆に言えば、「有害な存在を排除できること」がきちんと機能していなければ、そんな組織は機能不全に陥るのは確実であるということになる。

人間自身も、自分の身体の中に有害な物質が入ってきたら、それを排除しようと免疫システムが働く。

「排除するのは差別だ、何でも受け入れる」と言って有害な物質を取り込むがままにしていたら最後は死ぬしかない。有害な物質は排除しなければならないのである。

あるいは、自分の身体の一部が壊死して「この部分は自分の身体だから切断は許さない」と言っていたら、壊死していた部分から毒が身体全体に回って、やはり最後は死ぬしかない。

壊死した部分は、確かに自分の身体の一部ではあっても、それは有害な存在になってしまったのだから排除するしかないのである。そうしないと全体が死ぬのだ。

癌も同様だ。「排除しない」と言って癌細胞が増えるに任せていたら、やがては癌が身体全体を蝕んで身体全体を殺す。癌は排除しなければならないのである。

「有害な存在を排除できること」がきちんと機能しないと全体がダメージを負う。

「排除する」というのは、とても重要だ。だから、組織を運営する人間は、嫌われようが叩かれようが恨まれようが責められようが、「組織に有害だ」と思う人間をきちんと排除できなければならない。

組織の上に立つ人間に必要なのは「排除できる」という能力を持つことなのである。

最近の日本人は対立を避けて協調ばかりを好むようになったので、「有害な存在を排除する」という能力を失うようになってしまった。

上に立つ人間が、勇気を持って有害な存在を排除しないから、有害な存在がどんどん日本を侵食して、汚染して、日本を駄目にしているのである。

「排除する」というのは、組織の上に立つ人間が持たなければならない重要な力である。有害であると思えば、排除を決断できなければならない。

排除を恐れたら、もう組織の存続は不可能だ。



「排除する」というのは、組織の上に立つ人間が持たなければならない重要な力である。有害であると思えば、排除を決断できなければならない。排除を恐れたら、もう組織の存続は不可能だ。


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