2016-11-25

大量の情報や予測よりも優れている「凄いもの」とは何か?


欧米のマスコミ、そして日本のマスコミは大量の人員を動員して徹底したヒラリー・クリントン擁護、ドナルド・トランプ貶しに動いていて、もはやヒラリーが大統領になるのは当然の如く報道していたが大外れとなった。

ハリウッドのセレブたちも「ヒラリー・クリントンが大統領になる」と言って「もしそうならなかったらアメリカ国籍を捨てて出て行く」と言っている人間もいた。

日本のマスコミやジャーナリストも、「トランプが大統領になる可能性はゼロ」「ヒラリーが大統領になるでしょう」と断言していたが、それもすべて外れた。

ついでに「ドナルド・トランプが大統領になったら投資家はアメリカに悲嘆してドルは売られて壮絶な円高ドル安が来る」と言っていた人もいたが、それも外れた。

現在は大量情報時代であり、誰でもインターネットで大量の情報が集められ、分析できる時代となっている。そのため、「分析すべき大量の情報があれば、世の中がどう動くかが予言者のように分かるはずだ」と考える人もいる。

結果はどうだったのか。

インターネット時代になって大量の情報が溢れても、結局は誰も世の中を見通すことはできないという事実が明らかになっただけだった。世の中は、見通せなかったのである。


将来を見通すどころか、より混迷してしまっている


かつて人々は情報を手に入れるために涙ぐましい努力をしていた。情報が欲しければ、複数の新聞を読むか、テレビを見るか、関係者にインタビューするか、もしくは図書館に行って関連図書をしらみつぶしに調べるしか方法がなかった。

「調べる」ということ自体が、手間とコストがかかる困難な作業だった。

ところが、時代は革命的に変わった。今ではどこに行かなくても、ただ検索エンジンで何か調べれば、一瞬にしてたちどころに多くの情報が目の前に現れる。

あまりにも情報が溢れ、その情報が膨大過ぎてもはや一人の人間がすべてを消化できないほどの時代になっている。誰もがごく普通に大量の情報を手に入れる。現代は、かつてない大量情報化時代となったのだ。

しかし、大量の情報を手に入れることができるようになっても人間は相変わらず将来を見通せない。将来を見通すどころか、より混迷してしまっている。

大量の情報にまみれればまみれるほど、何が真実で何が嘘で、世の中の方向性がどちらに向かっているのか、ますます分からなくなっているのである。

大量の情報が、明確な結果を指し示してくれない。ひとつの方向性を示す解決策があれば、逆にその解決策を否定する情報も山ほど見つかる。

今後、日本が崩壊するという情報もあれば、もっと繁栄するという情報もある。これを食べれば健康になるという情報もあれば、食べてはいけないという情報もある。

成功するためにはこれをしろという情報もあれば、そんなことをしても無駄だという情報もある。

専門家に何かの問題点についてアドバイスを求めても無駄だ。その専門家のアドバイスを打ち消すような情報も大量に溢れているので、ますます世の中が分からなくなっていく。

真実が1個で、残り999個が推測であったとすると、この1000個の中から1個の真実を拾い上げる必要がある。それは大変な作業だ。999個の推測に接しているうちに真実を見失ったとしても不思議ではない。

さらに重要なのは、将来の予測に関する限りその真実さえも決定的ではないということだ。

世の中は数学のように正解がひとつではない事実


そして、どうなったのか。大量の情報に溺れるようになっても相変わらず将来のことなど何一つ分からないことを悟った現代人は、将来を見通すのに「それ」は何の役に立たないことを学び始めるようになった。

大量の情報があるくらいでは「何も分からない」ことだけが分かるようになったのだ。誰も世の中を見通せないし、誰も予言者になることもできない。

もちろん、世の中を動かしているはずの世界的リーダーも、別に世の中が見通せているわけではない。

特に2016年は欧米のリーダーたちにも予想外の嵐だった。

2016年6月23日のイギリスEU脱退は誰もが予測できないものだったし、フィリピンに暴言大統領が登場するというのも見通せなかったし、ドナルド・トランプが大統領になるというのも、すべて予想外だと言われていた。

どれだけ情報があったとしても、世の中が見通せない大きな理由は、「将来は何も決まっていない」からである。どんなことをしても、「絶対に世の中は見通せない」と言える要因がここに集約されている。

「将来は何も決まっていない」のだ。

決まっていないことに対する見解は、100人いれば100通りの答えが出てきて当然なのである。そして、世の中は数学のように正解がひとつではない。

ということは、どういうことか。それは、未来予測に関しては誰もアテにならないし、自分の直感も信用してはいけないということを意味している。

宗教やオカルトや占いや陰謀論の世界は、暇つぶしには役に立つが自分の人生には何の役にも立たない。アナリストやジャーナリストやコメンテーターの予想も役に立たない。

立派なグラフも、ケインズも、マルクスも、役に立たない。

では、役に立つのは何か。

Hope for the best, prepare for the worst.


誰も将来のことなど分からないのであれば、どうすればいいのかは「人並みの常識」があれば分かることだ。たとえば、イギリスにはこのような諺がある。

Hope for the best, prepare for the worst.
(最高を望み、最悪に備えよ)

予測は往々にして当てが外れるが、決まっていないことに対処しなければならない。どうするのか。それが「最高を望み、最悪に備えよ」なのである。

別にイギリス人に常識を聞かなくても年配の日本人に聞けばこのように言ってくれるはずだ。

「備えあれば憂いなし」

厚い雲が覆っていて昼間なのに暗ければ、雨が降る確率が高い。とは言っても雨は降らないかもしれない。しかし「降りそうだ」という方向性は間違っていない。どうするのか。

雨は降らないかもしれないが傘を持っていけばいい。別にいちいち予測する必要はない。「最高を望み、最悪に備えよ」「備えあれば憂いなし」というのは、そういうことだ。

ある程度の常識が分かっていれば、世の中がどっちに転ぼうが最悪の痛手を被らなくても済むし、想定内の最悪であればきちんと対処ができる可能性が高い。

「最高を望み、最悪に備えよ」というのは、将来における安全域を確保するということでもある。その「常識」によって自分の予測が外れたら破産するような賭けや言動から身を守ることができる。

ここまで来ると、大量の情報を集めるよりも優れているものが何かが分かるはずだ。

それは「常識」である。

大量の情報を集め、それを過信する前に身につけなければならないのは「常識」だったのだ。現実的に生きるというのは、常識を持って生きるということである。きちんと常識を身につけていれば、予測で自滅することはない。



雨は降らないかもしれないが傘を持っていけばいい。別にいちいち予測する必要はない。「最高を望み、最悪に備えよ」「備えあれば憂いなし」というのは、そういうことだ。


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