2016-10-28

「収入を得ながら、支出を減らす」という基本で生き残れる


大金持ちの家庭に生まれない限り、誰もが社会に出たときには金がない状態で出発する。金がない人間が真っ当に生きるためには、まずは当たり前の生き方をしなければならない。「当たり前」というのは、次の2点を指す。

「収入を得る」
「支出を減らす」

収入をどのように得るのか、あるいはどれくらいの収入が得られるのかは、個人の能力や才能によって違ってくる。

高度なスキルを持って、最初から多くの収入を得られる人もいれば、何も持たないで社会に出て下積みからコツコツとスタートする人もいる。

いずれにせよ「収入を得る」というのは、その収入の多寡に関係なく最も重要視されるべきものである。

しかし、それだけでは不十分なのだ。

収入を得ると同時に、「支出を減らす」という努力も同時に為されなければならない。収入以上に使っていると、あっと言う間に生活は成り立たなくなる。

「収入を得ながら、支出を減らす」という努力が同時に行われて、人は初めて自立が可能になる。


「収入を得ながら、支出を減らす」という基本


逆に言えば、この2つのバランスがうまく取れないと、自立はできない。どちらが重要かという問題ではなく、どちらも重要なのだ。

収入を得ながら支出を減らすという基本がうまく継続できた人は、収入が少なくともやがては生活が楽になっていく。日々の継続は貯金を生み出し、その貯金はやがて利息をも生み出していくことになるからだ。

逆に収入が多くても支出が莫大な人は、やがて生活が破綻に向かっていく。支出が多いと稼いでも稼いでもマイナスが積み上がるのだから、やがては借金まみれになっていくのは避けられない。

この「収入を得ながら、支出を減らす」という基本ができていないと、社会がどんなに好景気であっても、バブルであっても生きていくことはできない。

生活破綻してもそれは社会のせいでもないし、政治家のせいでもない。単に「自分のせい」である。

生活保護費をもらっている人間がパチンコ屋に通うのを普通の人が激しく嫌悪するのは、「支出を減らす」という基本ができていないと考えるからだ。

まともな人であれば、生活が安定しないならパチンコのような娯楽に金を使うのは極力減らすべきだと考え、実際に支出を抑える。

「生活保護を受けている人間は息抜きをしてもいけないのか」と憤る人もいる。しかし、娯楽が欲しければ金のかからない娯楽もある。逆になぜその金のかからない娯楽を選ばないのか、という話でもある。

公園を散歩したり、図書館に行って本を借りて読んだり、少し遠出をして知らない街を歩いてみたりするのは、とても心地良い娯楽であり金も使わない。

山に近い人は山歩きができるし、海が近い人は釣りができる。他にも、ボランティア活動をしたり、金をかけないでできる有意義なことはたくさんある。

それをすべてすっ飛ばしてパチンコで蕩尽するというのがおかしいと普通の人は考える。

もっとも、パチンコに狂っている人はギャンブル依存症にされているわけで、パチンコ店にも大きな罪がある。(いつまで日本人は駅前の違法賭博パチンコを放置しているのか

「収入を得ながら、支出を減らす」の対極にある街


「収入を得ながら、支出を減らす」という努力は、一時的に行えばいいというわけではなく、それは継続できなければならない。それを継続するためには勤勉さが必要だ。

大阪のドヤ街である「あいりん地区」に行けば、社会の底辺にまで転がり落ちた人たちが路上で寝ている姿を今も見ることができる。

彼らの中には家庭環境が悪かったり、事業に失敗したり、病気になったり、老いて失業したり、様々な不運に巻き込まれてどうしようもなくなった人も多い。

人生は浮き沈みがあって思うようにならないもので、不運に不運が重なると、こうしたドヤ街に落ちてしまう人がいたとしても不思議ではない。

ここに落ちてしまった人たちは、なかなか収入が得られないので、支出は極限まで減らさなければならない。

あいりん地区の労働者たちの拠点のひとつに「あいりん労働公共職業安定所」があるが、その二階にはドヤ(安宿)にさえ泊まれない人たちが寝ていたりする。

ところが、この街を歩くと異様なことに気付く。この街で最も多い店は何か。それは「居酒屋」なのである。他にパチンコ屋も目に付く。ゲームセンターもあれば、麻雀屋もある。

朝から開いている居酒屋もあるのだが、そこにはすでに酔って顔を真っ赤にしている労働者の姿も多い。

結局のところ、このドヤ街は吹けば飛ぶようなわずかな金しか持っていない労働者から、さらにアルコールやギャンブルで散財させる街だったのである。「支出を減らす」どころか、むしろ支出の方が多くなっていたのだ。

最近は重点的な摘発で消えたのだが、大阪で覚醒剤が白昼堂々と売られていたのもこの「あいりん地区」だ。

あいりん地区の貧困にあえぐ人たちは、「継続的に収入を得る」ということに失敗した上に、「支出を減らす」ということにも失敗してしまう環境にある。

つまり、「収入を得ながら、支出を減らす」の対極にあるのがあいりん地区の光景だったのだ。



結局のところ、このドヤ街は吹けば飛ぶようなわずかな金しか持っていない労働者から、さらにアルコールやギャンブルで散財させる街だった。

当たり前のことを勤勉にこなすだけで生き残れる


あいりん地区に、アルコールとギャンブルを扱う店が多いというのは、逆に言えばそういう店ばかりが求められている環境になっているということの裏返しでもある。

社会から転落して自暴自棄になってしまった労働者がそれを求めているから、そういう依存ビジネスが定着する。

そして、これらの店は労働者をより依存させて「支出を減らす」をできなくする。悪循環が生まれる。

労働者が更生するには、皮肉にも一刻も早く依存ビジネスが蔓延するドヤ街を出ることが重要になる。

そうしないと、遅かれ早かれアルコールとギャンブルにどっぷりと依存する体質になってしまう。そして、いったんそうなると抜けられなくなってしまう。

アルコールに依存してしまうと、明晰な思考も失われ、健康も失われ、向上心も失われ、継続的に収入を得るという理想から遠ざかってしまう。

そして、アルコールの依存に引きずられるので支出を減らすということもできない。「収入を得ながら、支出を減らす」ためには、街を出るのが一番なのである。

アルコールやギャンブルを断ち切るというのは、勤勉さを取り戻すための最適な方法である。勤勉さを取り戻せれば、「収入を得ながら、支出を減らす」という基本に向けて走り出すこともできる。

そして、この基本を長く継続できれば、たとえあいりん地区に沈んでいた人でさえも自立が可能になる。これはすべての人に通用する普遍的なものである。

基本を継続していると、少しずつでも貯金は貯まっていく。そうなると今度は、「収入を増やし、支出を減らし、投資する」という次の段階に進むこともできる。

そうやって、人生は少しずつ確実に豊かになっていく。

いったん軌道に乗れば、多少の問題が起きても「支出を減らす」ことで貯まっていた貯金が荒波を吸収して、転落を防いでくれることになる。

つまり、致命的な失敗をしない限り、生き残れる確率が高まるのである。別に難しいことをするわけではない。ただ、「収入を得ながら、支出を減らす」という当たり前のことを勤勉にこなすだけだ。



労働者が更生するには、皮肉にも一刻も早く依存ビジネスが蔓延するドヤ街を出ることが重要になる。そうしないと、遅かれ早かれアルコールとギャンブルにどっぷりと依存する体質になってしまう。そして、いったんそうなると抜けられなくなってしまう。

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