2016-10-11

自分に合わない仕事を延々と続けるのは、人生で最悪の無駄

電通でひとりの東大卒の新入社員の女性が月100時間の残業をさせられて精神的に追い込まれ自殺するという事件があった。

残業は80時間を超えると「過労死ライン」と言われているのだが、企業が従業員をここまで働かせるというのは、いくつもの理由がある。

誰もが気付いているのは、長時間残業させることによって、会社は「上司の言うことなら何でも従う奴隷」を作り出すことができるようになるということだ。

私生活を放棄させ、会社第一の人間に仕立て上げ、会社が「もっと働け、ただで働け」と言っても黙って従う体質にする。それを「社畜化」というが、会社は長時間残業させることによって社畜を生み出すのである。

そして、長時間残業をする社畜の中から成績の良い人間を出世させていく。出世できるのは仕事ができる人間であるだけでは駄目で「社畜である」というのが第一条件になる。

だから、少しでも出世したいと考える人間は進んで社畜になる。そのため「100時間くらいで自殺するのは情けない」という人間も出てくるようになる。そして社畜が増えると残業代を払わなくても働くので会社も助かる。

かくして、日本の企業は長時間残業をさせて残業代も払わないような企業が続出する。


残業代なしの長時間労働は、見えない賃金引き下げ


長時間残業をさせて残業代も払わない企業を「ブラック企業」と呼ぶ。日本で長時間残業が減らないのは、社畜を作り出すと同時にコスト削減も実現するためである。

日本人はグローバル化した世界から見るとまだ賃金が高い。企業がそれをカバーするためには日本人に無給の長時間残業をさせることで帳尻を合わせる。

企業はすでに国境を越えて活動しており、安い賃金でも働く労働者が世界中にいることを知っている。

途上国に行けば、安い給料でも雇いきれないほどの人たちが職を求めて殺到する。安い働き手はいくらでもいる。

だから、高賃金・好待遇を要求する日本人の労働者は、本来であれば賃金を下げるかリストラするのが合理的経営となる。しかし、非常時でもないのに賃金も下げたりリストラしたりすると社会的に批判を浴びる。

だから、残業代なしで長時間残業させて帳尻を合わせるのである。それが「日本人を雇う秘訣」だった。残業代なしの長時間労働は、見えない賃金引き下げと気付くべきだ。

しかし、これからの時代は「残業代なしで長時間働かせる」というシステムは批判の対象になって使えなくなるかもしれない。だとすれば、どうなるのか。

簡単だ。経営者は従業員の賃金を下げるか、リストラが容易になるように非正規雇用をより増やす。どのみち企業の方向性は「より安く雇う」にあるので、その流れは決して止まることはない。

だから、日本人の8割を占めるサラリーマンは、よほど優秀な人でもない限りもはや未来はない。働いても働いても働かされ、どんなに働いても給料が引き下げられるのがサラリーマンという労働の特徴となる。

我慢していれば状況が良くなるわけではない。先に行けば行くほど、労働環境は悪くなっていく。もはや、このままでは多くの日本人が、日雇い労働も同然の待遇と賃金になっていく。

さすがにもう、日本人もサラリーマンという生き方に疑念を持ち、別の生き方を模索してもいい時期に入っている。

どうあがいても1度しか生きることができない


そもそも、日本人の8割がサラリーマンというのが奇妙な話である。本当に日本人は、これほどまでサラリーマンという職業が好きだったのか。

いや、それは「生計を立てる上で、もっとも安定していた」という理由で選ばれていただけのはずだ。

今後、サラリーマンという職業が安定を示すものでなくなっていくと、自然とこの職業は捨てられていく。安定がないのなら、そんな職業にしがみついていても意味がないからである。

今後は雇用を削減するイノベーションも、さらに突き進んでいく。IT技術の飛躍的な進化が世の中の変化をもたらし、人工知能の活用や、ロボット化や、自動運転に見られる「未来」が手が届くところにまで来ている。

そうなると、サラリーマンはより賃金が安くなり、恒常的なリストラの対象になっていく。サラリーマンという職業は、安定ではなくなるのである。

職業として安定がなくなったのであれば、サラリーマンという職業にしがみつくのは虚しくなっても当然だ。どのみち低賃金を余儀なくされるのであれば、自分のやりたい方向で生きた方が人生も楽しい。

人間はどうあがいても1度しか生きることができず、しかも寿命はだいたい決まっている。人生が約80年だとすると、人間が生きることができる日数は、実質的に、2万9200日しかない。

しかも、これは80歳まで生きると仮定したときの話であり、ゼロ歳からの計算である。

実際には、この文章を読んでいる人はすでに成人である可能性が高いし、環境汚染の中で生きる現代人が今後80歳まで長生きできるかどうか微妙なので、実際には2万日も残っていない人の方が多いはずだ。

ここからさらに寝ている時間や、通勤時間や、暇つぶしする時間をあれこれ差し引くと、だいたい正味1万日ほどしかないのではないか。

人間が生きている時間というのは限りなく長いように見えるが、計算してみると、実はそれほど長いものではないというのが分かってくる。

この職業から去ることを考える時期に来ている


正味1万日もない人生は、刻々と消え去っていく。

もし、この期間の間、自分がまったく興味や関心のない仕事に就いているとしたら、それだけで膨大な時間の無駄を重ねることになる。

10年も20年も関心も興味も生き甲斐も未来もない仕事に就いていると考えて欲しい。

仮に20年もそんな仕事に就いていたら、7300日が無駄だったということになる。1万日から7300日が無駄になったら、残りは2700日しかない。長い人生の大部分が無駄になる。

だから、基本的に自分が関心も興味も持てないような仕事にいつまでも就いているというのは、「人生史上、最悪の間違い」であると言うことができる。

どの仕事に関心が持ているのかというのは、他人が決める問題ではない。自分が決める問題である。

自分に合っていないし、興味もないし、ストレスと鬱しか感じないような職に就いているのであれば、それがどんなに給料が良くても、世間体が良くても、それは最終的に自分の仕事ではない。

サラリーマンをやっている人の多くは、今でも本当は満足しておらず、最初から「生活の糧」のためにやっていたのではなかったか?

それならば、もうサラリーマンという職業に未来がなくなった今、いよいよこの職業から去ることを考える時期に来ているのではないだろうか。

それが自分の人生に実りを与えるものではないと分かっていながら続けるのは、人生を賭けて無駄な投資を続けているようなものだ。

無駄な投資はいくらそこにカネを注ぎ込んでも、まったくリターンを生み出さない。関われば関わるほど、損失が膨らみ、最終的には人生を破壊する。

自分にとって何が重要か、何が重要でないかは、他人にはまったく分からない。それは自分しか判断ができないものだ。

他人にとっては有意義なはずだと思われている職業であっても自分にとって無駄だと思えばそれは無駄なのである。

自分が自分の人生の何に投資するかは、自分が最も夢中になれるものであるべきで、そこに他人の意見や見栄や外聞を持ち込むべきではない。

これができるかどうかで、自分が生まれてきたことに価値があるかどうかが決まる。自分のしたいことに邁進し、その中で生きていけるのであれば、それが最も充実した人生であると言うことができる。



過労死したある女性の日記。自分の人生に実りを与えるものではないと分かっていながら続けるのは、人生を賭けて無駄な投資を続けているようなものだ。

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