2016-08-31

「弱者なりすまし」を放置すると弱者切り捨てになっていく


日本人は「自分の面倒は自分で見る」「人様に迷惑をかけない」という倫理をしっかり持っていた。

これが「自分の身に起きたことは自分の責任である」という日本人の精神として定着した。

「自分が貧しいのは親が悪い、会社が悪い、社会が悪い、国が悪い」と責任転嫁するのを嫌うのが日本人だったのだ。他人のせいにする前に、「もっと自分にできることはなかったか」と反省し、改善し、向上しようとする。

もちろん、自分の能力の至らなさや、環境の悪さや、不運で、どうにもならないこともある。怪我や病気でいかんともしがたい状況になることも珍しくない。

人生は良い時もあれば悪い時もあるのだ。どうしても力が及ばない時もある。時にはどん底に落ちて、自立すらも難しくなるような状況に落ちることさえもある。

そんな時は、まわりが察して支援したり、国が自立できるように保護する。こうしたセーフティーネットは絶対に必要であるし、それは充実させるに越したことはない。

ところが、ここで問題が発生する。


「自分は社会に犠牲にされた」とわめく理由とは?


「働きたくない」「遊んで暮らしたい」「寄生したい」と考えて、本当は働けるのに働かないで他人の支援や国の生活保護に最初から頼る人間が出てきたらどうなるのか。

そんな人間が大量に出て来ると、このセーフティーネットは、最終的に崩壊してしまう。

不正受給が増えて制度がパンクしてしまうこともあるし、不正受給の温床になっていると認識されれば、そんな制度は無用だという意見が増えるからである。

常識と良識を持った人間であれば、「自分が不正をすることによって本当に生活保護を必要としている人が迷惑を受ける」と考えて不正から距離を置く。

しかし、「働かないで生活保護をもらって贅沢する」という人間は少なからず存在する。

「他人に井戸を掘らせて自分はその水を飲む」と考える浅はかな人間は社会の底辺には一定数いる。

こうした人間は、最初から不正をするための悪意を持っているので、自分の立場の正当化を徹底的に行う。その「自分の立場の正当化」とはいかに行われるのか。それが「被害者になること」なのである。

「自分は社会に犠牲にされた。社会は謝罪と賠償しろ」
「自分は国の犠牲になった。国は謝罪と賠償しろ」
「自分はとにかく悪くない。悪いのは社会だ、国だ」
「自分は犠牲者だ。犠牲者は保護しろ」

とにかく、自分が惨めなのはすべて他者に責任転嫁し、他者が悪いということにする。そして、自分はその他者の犠牲になったのだとわめき散らし、主張し、大声を上げて大騒ぎする。

そうやって、巧みに自分を「社会の犠牲者」と認知させて、それから朝から晩まで「謝罪しろ」「賠償しろ」と言いながら暮らすのだ。

「働きたくない」「遊んで暮らしたい」「寄生したい」を実現するためのテクニックが「弱者になりすます」というものなのである。

犠牲者になりすまして権利を主張し、実を得る。これを「弱者なりすましビジネス」と呼ぶ人もいる。

誰もが「弱者」を胡散臭い目で見るようになる


「弱者なりすまし」を行うのは、弱者のふりをして他人に自分の面倒を見させるという目的のために行われる。

自分の面倒は自分で見ない。他人に見させる。人様に迷惑をかけても、そんなことは意にも介さない。他人に寄生し、自分だけが利益を得ようとする。それが「弱者なりすまし」をする人間の特徴だ。

生活保護を受ける人たちの多くは貧困を這い回って苦しい思いをしており、救済が必要な人たちだ。だから、正常な社会は惜しみなく彼らを救済する。

そこに本当の貧困でない悪人が「なるほど、貧困のフリをしたら金がもらえるのか」と考えて、本当は貧困ではないにも関わらず、「なりすまし」して生活保護を搾取する。

言ってみれば、人間のクズだが、こうしたクズを真っ正面からクズだと言えば、言った方が「弱い者いじめをしている」と叩かれることになる。

そして、不正を指摘した良識ある人が糾弾されて、弱者なりすましの悪人が肥え太ることになる。

こんな不正がまかり通っていく社会になると、誰もが「弱者」を胡散臭い目で見るようになり、弱者を救済しようとする意欲も消えるし、弱者を守ろうとする気力もなくなる。

結果的に、社会は弱者を放置するようになり、セーフティーネットも社会から消えていき、底辺は荒廃した中で放置されるようになっていく。

そうならないためには、どうするのか。もちろん、「弱者なりすまし」をピンポイントで摘発して排除すると同時に、「自分の面倒は自分で見る」「人様に迷惑をかけない」という哲学をきちんと身につけるような教育や社会にしていくしかない。

「自分は悪くない。社会が悪い、国が悪い、日本死ね」と言って、それが全面的に肯定されるような社会は、弱者に優しい社会を生み出すように見えるかもしれない。

しかし、本当は逆だ。長い目で見ると、それは弱者を切り捨てる非情な社会を生み出す。

最近のマスコミは日本人が記事を書いていないのか?


人間が生きていく中で基本にしなければならないのは「自立」だ。つまり、「自分の面倒は自分で見る」を徹底しなければならないのだ。

他人は最初から最後まで自分の面倒を見てくれない。結局、自分のことを最後まで面倒を見るのは、最終的には自分しかないのである。

過剰に自分の子供の面倒を見る親もいる。子供のために良かれと思って何でもかんでも親がやっていると、子供は自立する意味すらも忘れる。そして、子供を役に立たない無力で無益な人間にしてしまう。

その子供の持っている才能や能力は、努力して向上することで磨かれるが、過剰に面倒を見たり、永遠に保護していると、努力も向上心も失い、その子供の持っている可能性を台なしにしてしまう。

そして、誰かに頼るしか生きられなくなり、無意識に「弱者なりすまし」に落ちる。弱者のフリをして、社会のせいにして、保護してもらいながら生きる方が楽だと思ってしまうようになる。

親は子供を自立させなければならないし、そのためには「自分が努力しなければ報いを受ける」という自己責任論をしっかりと子供に教えなければならない。

自己責任論は、自分の面倒は自分で見ないとならないという崇高な自立の論理であり、弱者を軽視するために使う論理ではない。

ところが今の日本のマスコミは、自己責任を否定して「社会が悪い、政治が悪い、国が悪い、アベが悪い」とすべてを「他人のせい」にして喜ぶ風潮がある。

まるで「弱者なりすまし」を奨励しているかのようだ。あるいは、「弱者なりすまし」を擁護しているかのようだ。

「最近のマスコミは日本人が記事を書いていないのではないか?」と言われるようになっているのは、マスコミ自身は気付いていないが、発想が日本的ではないからでもある。

日本人は「自分の面倒は自分で見る」「人様に迷惑をかけない」という倫理をしっかり持っていた。今でもその確かな倫理は失われていない。



日本人は「自分の面倒は自分で見る」「人様に迷惑をかけない」という倫理をしっかり持っていた。今でもその確かな倫理は失われていない。

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