2016-08-26

不動産に安心を見出すのは日本では時代遅れになりつつある


今、不気味に囁かれている問題がある。それは日本の不動産価値の暴落問題だ。日本には「土地神話」というものがあって、土地を持っていれば勝ち組だという意識が社会にあった。

しかし、1990年以後のバブル崩壊で土地は右肩上がりで価値が上昇していく資産ではなくなった。その上に、3つの大きな問題も重なって、それがじわじわと不動産という資産の価値を絞め殺そうとしている。

1つは少子高齢化の問題だ。日本政府は進みゆく少子高齢化を放置し続けたので、日本は地方都市から急激に人口減少が加速している。

このままで行くと2040年には地方都市の半数が消滅、2050年には国土の6割が無人になり、不動産価格は底抜けの暴落になると言われている。

地方の不動産は「値段が付いているうちに売れ」とささやかれるようになっているのはそういうことだ。

さらに2つめの社会の変化も日本に到来している。それは、今までの日本を支えてきた「サラリーマン文化」の崩壊、もっと具体的に言えば、終身雇用と年功序列の崩壊である。

これが不動産の問題と直結する。


サラリーマンという生き方の終わりと共に来たもの


今の若年層は、終身雇用も年功序列も知らないし、そんなものはあり得ないというのが逆に常識となっている。

戦後から1980年代までのサラリーマンにとって、転職をするというのは「だらしない人間のやること」のように思われていた。ところが今や、会社が働かない中高年をリストラして放り出したい時代になっており、転職はむしろ奨励されている。

今の若年層は、もう転職するという人生設計が当たり前であり、ひとつの会社にいつまでも働き続けられるとは誰も考えていない。そう願っても、リストラされてしまうのである。

これこそが、戦後から一貫して続いて来たサラリーマンという生き方の終焉である。

その結果、考え直さなければならない重要な変化が生まれて来た。それは、「持ち家」に対するものである。サラリーマンという生き方の終わりと共に「持ち家信仰」も終わる。

かつて建築批評家の布野修司氏は著書『住宅戦争』の中で、このように述べた。

「住宅を手にすること、それは今のところ人生にとって、最大の事業である。住宅は人生で最大の買い物なのだ。住宅を買うために、その人生のほとんどの期間、ローンや家賃を払い続けるのである。人生のために住宅があるのではなく、住宅のために人生がある。全く転倒してしまっている。どこかおかしい」

現在、住宅を買うのに35年ローンすらも当たり前になっているのだが、35年ローンが馬鹿げた選択であるのはもう10年以上も前から指摘されている。

35年もローンが組めるのは、サラリーマンが終身雇用であり、年功序列であり、不動産が上がっているという前提が成り立たなければならない。

今やそのすべての前提が崩壊してしまっている。それでも35年ローンを組むのは、自分の人生が35年間も風波が立たないという方向に賭けているということになる。

「消費して、使い捨てするものだ」という感覚に


現在の社会情勢を見渡すと誰も35年も淡々と生きられると思えない。まして現在のコスト削減を優先して作られた安普請の建物が35年も持つなど誰も考えていない。

「住宅のために人生がある」という本末転倒な生き方は、サラリーマンの終わりと共に消えていく現象であると言える。つまり、住宅は「所有するもの」ではなく、「消費するもの」「使い捨てするもの」になったのである。

買うのではなく、適当に借りて古くなったり都合が悪くなったら捨てて新しいところに移るというのが現実的になり、今後はその方向に向かって時代が動いていく。

つまり、住宅は所有するものではなく、「消費して、使い捨てするものだ」という感覚が当たり前になっていく。

この感覚を加速させるのは、人口減による空室率の増加とそれに伴う家賃の引き下げだ。

空室率の増加は、いずれ家賃の引き下げを引き起こす。さらに不動産価格の低下も引き起こす。需要が減るのに供給が過剰だと資本主義の倫理に則って価格は下がる。

これから数十年に渡って空き家も空室も増えるなら、不動産を買わない方が得策だと誰もが思う。誰も不動産を欲しがらなくなると価値は下がる。

さらに、日本人がいずれ不動産をもっと欲しがらなくなる3つ目の理由もある。それは毎年、激甚化していく自然災害の心配が重なることだ。

日本人なら、誰しも2つの大きな巨大災害を経験が忘れられない。それは、1995年に起きた阪神・淡路大震災と、2011年に起きた東日本大震災である。

どちらの震災でも「永遠の住処」だったはずの住居は、いとも簡単に自然の脅威に押し流され、叩きつぶされ、ガレキの山となって消えていったのを日本人は目撃した。

かろうじて残った住居も欠損し、神戸では今もひび割れたマンションがそのまま使われている。福島では津波によって原発が次々とメルトダウンして放射能が拡散し、半径20キロ圏内の不動産はすべて無価値と化した。

不動産に安心を見出すのは、時代遅れになりつつある


自然の脅威の前に、人々の生活や夢や安全は一瞬にして壊される。今後、激しい大規模災害はしばしば起きる。自然災害は今の2倍になるとも言われている。(巨大で深刻な災害はさらに増えて、現在の2倍になっていく

地震も、火山噴火も、土砂崩れも、台風も、津波も、日本では何でも起きるのだが、それがさらに深刻化していく。

そんな中で、「永遠の住処」を数十年もローンを抱えながら買うという選択が見直されるのは当然の話だ。住宅というのは「消費して、使い捨てにする」という発想をする人が増えたとしても不思議ではない。

実際、自分の人生が波乱に満ちたものになることや、自然災害がどのように襲いかかるのか分からないこともあって、すでに現実的な若年層から「持ち家信仰」が消えている。

これに追い打ちをかけるように、現代に生きる日本人から「持ち家信仰」を消すのは、建設会社である。

首都圏のあちこちに猛烈な勢いで建てているマンションや一戸建て住宅は、コスト削減や手抜きのために、壁は薄く、安っぽく、狭く、備品もちゃちだ。おまけに建設途中から傾いているマンションですらもある。

家は一戸建てでもマンションでも100年持つというのは業者の作った嘘であり、実際には30年も経つとボロボロになって資産価値は毀損している。

そうなると立て替えが必要になるが、老朽マンションの建て替えなどは、各区分所有者に自己負担が発生することから、現実的には不可能であることが多い。

一戸建ての建て替えにしても、35年もローン地獄をくぐり抜けて、終わったら今度はまた立て替えで1000万円も2000万円も出せる人はそういない。

35年にして、それが分かって来たのだ。そんなものを所有するために人生を棒に振るのを嫌がる人は増える。

不動産をビジネスとして見ても、今後は少子高齢化で日本の不動産は一等地以外は先行きが不透明となっており、不動産ビジネスは難しい事業に変わりつつある。

不動産に安心を見出すのは、時代遅れになりつつある。



老朽化して魅力を失った不動産は日本のあちこちに存在する。持ち主は家を捨てて他に引っ越す選択をする。その地域全体が老朽化した建物で埋め尽くされたとき、その地域全体が見捨てられていく。現代の日本では、不動産に安心を見出すのは、時代遅れになりつつある。

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