2016-08-24

あなたを罵倒、誹謗中傷、恫喝するのが当たり前になる社会


今、EU諸国で広がっているのは「反イスラム・反移民・反難民・反グローバリズム」である。

自分たちとは異質の人種・宗教・信条・文化の人間が大量に入り込んだ結果、社会の底辺では軋轢と衝突が恒常的に起きるようになったのだ。

治安が乱れ、秩序が崩壊し、安定が消え、共同体がどんどん荒廃していく。それが次第に深刻化するようになっている。

現代社会はグローバル化・ネットワーク化・情報化が同時並行で加速しているので、こうした荒廃はインターネットにも持ち込まれた。

そして今、人々をつなげているSNSでは、中傷と罵倒と憎悪にまみれた感情的な言葉が飛び交う世界と化し、ますます負の感情は社会を覆い尽くしている。

インターネットは人々を容易につなげる仕組みを作り上げたが、人々をつなげるようになって起きたのは、底知れぬ憎悪の膨張と拡散だった。

もともと人間は、自分が守るべき信条や宗教や共同体を大切に抱えて生きている。問題は、自分がどんな立場であっても、自分と真逆の立場の人間が必ず一定数存在していて、対立を余儀なくされることだ。


グローバル化・ネットワーク化・情報化の弊害


かつては、世界は現代社会ほど密接につながっていなかったので、自分とまったく違う信条や宗教や共同体を持っていたとしても、何ら問題にならなかった。

接点がなかったし、会うこともなかったし、相手と議論することもなかったからだ。自分と真逆の考え方をする人間がこの世に存在することすら知らないこともあり得たのである。

しかし、世界は一変した。グローバル化・ネットワーク化・情報化が怒濤の勢いで加速した結果、自分とはまったく違う人間が存在することを互いに知り、相手に干渉し、対立を生み出すようになったのだ。

これはどういうことかというと、もう誰もが「誰かに嫌われる」ことを避けられなくなったということだ。自分が何をしていなくても、存在しているだけで攻撃されるような社会になったのである。

フランスではイスラム過激派によるテロが繰り返し起きているのだが、それによってテロと関係のない穏健なイスラム教徒も憎悪の対象になっている。

イスラム教徒として生きているだけで、激しく誹謗中傷され、罵られ、ツバを吐かれる時代なのである。

こうした宗教間の嫌悪だけでなく、昔から人間は人種間でも激しい差別と嫌悪が存在していたわけで、たとえば黒人は何もしていなくても肌が黒いというだけで排斥されていた。

人種の坩堝となって、最も多文化共生に成功したと言われているアメリカですらも、今もまだ人種間での差別と対立は解消できておらず、互いに激しい言葉で相手を中傷し合っている。

こうした対立は、インターネットという「拡散器」によって膨れ上がるようになっており、人間社会の対立と混乱は、時代が進めば進むほど深刻化している。

グローバル化・ネットワーク化・情報化は、人間社会を平和にするのではなく、むしろ憎悪を拡散して荒廃させていることが鮮明になってきているのだ。

すでに、このような荒廃した世界が出現している


これは誰にとっても他人事ではない。たとえば、私たち日本人は、中国・韓国・北朝鮮と言った特定アジア諸国から激しい反日感情を向けられている。

日本人を罵り、日本人を貶し、日本人の尊厳を踏み躙ろうとして、特定アジア3ヶ国の人間たちが執拗に日本人に対する呪詛をネット空間に書き込み、拡散している。

まさに、日本人に対する激しい差別とヘイトがインターネットで渦巻いていると言っても過言ではない。「日本人は豚だ、日本人は猿だ、日本人は犬だ」と毎日のように私たちは罵られ続けているのである。

今まで陰で罵られていても気付かなかった陰湿な中傷は、インターネット時代になって表側に浮上し、やっと日本人も自分たちが憎悪を向けられていることを知るようになった。

私たちは誰でも生きているだけで、他人の憎悪を浴びる時代となっているのだ。

こうした対立や憎悪や中傷や誹謗は、もちろん民族間だけで発生しているわけではない。物事はすべてに対して、自分とは真逆の意見を持った人がいるので、何か意見を言うだけで反感と恨みを買う。

何を言っても対立する。場合によっては、「今日は良い天気ですね」と言っても反対意見が出てきて対立と衝突に巻き込まれる。それがグローバル化・ネットワーク化・情報化の行き着いた世界だったのである。

すでに、このような荒廃した世界が出現している。私たちは誰ひとりとして、そこから逃れられない。

そして、こうした対立と衝突と誹謗中傷にまみれた荒廃した世界は、今後のさらなるネットワーク化によって激甚化していく。

そのため、私たちはこのような時代に合わせて、自分の感受性を変えなければならない時期に来ている。

あらゆるタイプの暴力に慣れるのは必須の能力だ


私たちは別に互いに殺し合いをしたいわけではないので、無用な対立や衝突は避ける方が合理的である。

好かれる努力をするというのは決して無駄にはならない。むしろ、今も昔も好かれる努力をするというのは自分の身を助ける元になる。

しかし、現代社会はそれだけでは足りなくなった。

自分と決定的に対立する多種多様な人間から、執拗な攻撃、誹謗中傷、いやがらせ、罵倒を受ける「荒廃した時代」がやって来ているのだ。

そのため、こうした社会の荒廃に対応できる能力を、自分の中で育まなければならない。

今や一国の首相でさえ「アベ死ね」と公然と罵られ、反日議員は「日本死ね」と嬉々として国会で言うような時代となっているのだ。

他人が自分に向かって「死ね」「殺す」と言ってくるのは当たり前になったと認識し、それを自分の身にまといながら普通に生きていける感受性に自分を作り変えるべきなのである。

一番いけないのは、自分に敵意を向けてくる人に対して恐怖を持ち、対立や衝突を怖がって萎縮することだ。萎縮する必要はまったくない。

しかし、相手とまともに議論し、相手を変えようとするのも無駄な努力だ。対立構造の中での議論はより深い反目を生み出すのだから、無駄な努力はしない方が時間の節約になる。

これからやってくるのは激しい暴力の時代なのだから、その前哨である言葉の暴力の時代を生きなければならないのは現代人の宿命である。

暴力化していく社会を止められない以上、私たちは憎悪の海を泳ぎながら生きていく必要に迫られている。世界中がそうなっているのだから、あらゆるタイプの暴力に慣れるのは生きていく上で必須の能力だ。



暴力化していく社会を止められない以上、私たちは憎悪の海を泳ぎながら生きていく必要に迫られている。世界中がそうなっているのだから、あらゆるタイプの暴力に慣れるのは生きていく上で必須の能力だ。

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