2016-07-04

日本人だけがやたらと平和主義に染まっている現状は危険だ


2016年7月1日のバングラデシュのテロで7名の日本人が惨殺されている。(日本人を巻き込んだバングラデシュのイスラム過激派テロ

テロは相手を選ばない。人々は無差別に殺される。こうしたテロはこれからも全世界で発生し、日本人が巻き込まれるテロもまた起きるはずだ。人間社会から暴力と対立は消えない。

もちろん誰でも平和主義でありたい。誰でも人に優しくありたい。そして、争いごとや揉め事もなく暮らしたい。それは理想であり、素晴らしいことでもある。

しかし、歳を取れば取るほど、人は平和主義が単なる空想であることを人は知る。この世は対立と暴力で満ち溢れている。

どんな家庭でも、意見の違いもあれば、感情の行き違いもある。誰も自分の言う通りに動かない。親の言うことを素直に聞く子供などひとりもいない。

夫は妻に、妻は夫に、子供は親に逆らい、反対し、怒ったり、怒鳴ったりする。一度も風波の立たない家庭などない。あるとすれば、平和主義者の脳内だけなのだ。

家庭でさえ、とても平和的であるとは言えないのに、これが集団、社会、国家と大きな単位になって、深刻な対立や衝突がないと思うほうがどうかしている。


人間社会は、暴力と騒乱で成り立っている


企業経営者はマネージメントとは激しい利害対立やトラブルの折衝であると知っている。弁護士は人間社会が対立でまみれているからこそ成り立つ職業だ。

警察は暴力に対峙して給料をもらっており、刑務所は暴力的な犯罪者でいっぱいだ。

そして、中国や韓国はあからさまに日本を憎んでおり、激しい反日教育を行い、海外のあちこちで日本を貶めるプロパガンダや宣伝を発している。

イスラム諸国では、アルカイダやタリバンやISIS(イスラム国)と言った過激な暴力集団が台頭して支配地域を血まみれにし、テロ事件を誘発させている。そして、誘拐やテロを引き起こして世界中を混乱させている。

こうした中で、欧米でも反イスラムが台頭し、暴力を含めた激しい排斥や衝突が起きている。

人間社会は騒乱で成り立っていると考えたほうが早い。騒乱が高じると暴力沙汰になる。この暴力沙汰が大規模になったのが、テロや戦争だ。

暴力が反対なのは当たり前だ。しかし、人は意見が違い、利害が対立し、それぞれの国は周辺国と衝突する。

民族のプライドや、国家の威信や、国益のために譲れないものがたくさんある。こういったものが傷つけられたり、侮辱されたり、騙されたり、襲われたりすると、隠し持っていた暴力性が突如として現れる。

私たちは侮辱されれば、感情を害する。誰でもそうだ。ときどき、あなた自身も怒りを感じ、暴力性が目覚めそうになることもあるはずだ。人間なのだから当然だ。

暴力を否定するのは当たり前だ。しかし、心の中で暴力的な感情が芽生える瞬間が、今までまったくないまま生きてきたと断言できる人はいない。

それが現実なのだ。



人は意見が違い、利害が対立し、それぞれの国は周辺国と衝突する。

ただ、「暴力としての本能」がそこにある


世の中には平和主義者がいるのと同様に、単純に暴力を振るったり、誇示したりする人間もいる。

粗暴で、乱暴で、喧嘩腰で、反抗的で、危険で、荒々しく、気性が激しい人間がいる。

血の気が多く、恫喝的で、信じがたいまでに短気で、すぐにカッと来て手が出る暴力的な人間・組織・国家があるのだ。しかも、私たちが考えている以上に多い。

チンピラ、マフィア、ヤクザ、テロリスト、ならず者国家。

彼らの暴力には理屈はない。思想もない。ただ、「暴力としての本能」がそこにあるだけなのだ。

平和主義者もいるが、そうでない人間もおびただしく存在することを認識すれば、「世の中は平和である」という前提で物を考えるのが、いかに危険なのかが分かる。

日本はグローバル社会に組み込まれている。グローバル社会の中に暴力が蔓延しているのは、世界中の暴力事件やテロ事件を見ても分かるはずだ。

日本が平和主義であっても、憲法第九条があってもなくても、周辺国には関係ない。暴力は常にそこにある。それならば、可能性としてこう思わないだろうか?

「世の中が暴力で満ち溢れており、いつか自分にも危害が飛んでくるかもしれない」

誰でも自分に暴力が向かってこないことは願う。しかし、現実問題として暴力は満ち溢れている。「いつでも暴力は自分に向かってくる」のである。

暴力はどんなに平和主義者が活躍しても、消すことはできないのである。そこに存在する。これは自然現象として、地震や津波や洪水や豪雨や豪雪が存在するのと同じだ。

毎日、地震が来るわけではない。毎日、豪雨が来るわけではない。しかし、毎日来ないから存在しないわけではない。自然現象として存在する。また、いつか遭遇する。



おびただしい銃弾。「いつでも暴力は自分に向かってくる」

暴力もまた人間社会に付きものの「自然現象」だ


暴力もまた人間社会に付きものの「自然現象」であり、それは毎日訪れるものではないが、だからと言って存在しないわけではない。社会現象として、存在する。

私たち自身が暴力に遭遇することもあれば、私たちの国が暴力に遭遇することもある。

では、どうすればいいのだろうか。

「そんな暴力は来ない」「戦争になることはない」と言って、平和主義でいるのは頭の良い対応だろうか。暴力が存在しないかのように生きるのは現実的な対応なのだろうか。

「平和を唱えれば平和になる」というような現実無視の理想主義は役に立つのだろうか。現実を知らない少年少女の空想だったらいざ知らず、いい歳をした大人がこんな空想に浸っていて大丈夫なのだろうか。

現実逃避してもしかたがない。別に私たちが暴力的になる必要はないが、平和主義は捨てたほうが裏切られなくて済む。

私たちが目指すべきなのは、「現実主義」の道だ。平和を願って平和になるくらいなら世の中は今ごろ平和だ。

屁理屈をこねて平和になるくらいなら、世の中は今ごろ天国になっている。誰もが平和を願っているが、世の中は暴力に満ち溢れている。残念ながら、これが現状だ。

そんな中で、日本人だけが、やたらと平和主義に染まっている現状には非常な危機感を覚えないだろうか。

日本人は、誰もが子供の頃から「平和が第一」「人類みな兄弟」と繰り返し言われ続け、それを唱えていれば暴力から身を守れるという勘違いを与えられてきた。

そして、「国を侮辱されても、侵略されても、相手の暴力には抵抗すべきではない」という頭のおかしな人間すらも出現しており、しかもそれが大学教授であったりする。一部の日本人の現状認識は危機的だ。

そろそろ、私たち日本人は暴力の存在を認め、日本と敵対する国家があることを認め、私たち自身が組織的暴力の犠牲になることを理解しなければならない時代になった。そうでないと、日本は助からない。



屁理屈をこねて平和になるくらいなら、世の中は今ごろ天国になっている。誰もが平和を願っているが、世の中は暴力に満ち溢れている。残念ながら、これが現状だ。


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