2016-06-09

舛添要一だけでなく多くの政治家が私利私欲で国民を裏切る


舛添要一は選挙で当選して都知事になったのだが、この男に票を入れた人々は今は苦々しい思いをしているはずだ。

政治家というよりも人間として、あまりにもお粗末で信頼できない人間だというのが判明したからだ。舛添要一が信用できない人間であるというのは分かっていたが、これほどまで信用できない人は珍しい。

舛添要一の言葉には一貫性がない。状況によってころころと言っていることが変わる。権力と地位が転がり込む前と後では、何もかもが違ってしまう。

しかし、重要なことがある。舛添要一は極端だが、政治家というのは多かれ少なかれ、そういうところがある人種だということだ。

どんなに素晴らしいと思う政治家でも、実は私たちの知らない裏側では、目を覆いたくなるような悲惨な姿になっていることも多い。当然だ。叩けば誰でも埃が出るのである。

政治家は、利権と人間関係にまみれて現在があるのだから、裏側を見ると、必ず大きなスキャンダルの種が存在する。金に絡むスキャンダルはいくらでも出てくる。

だから、私たちが政治家を見るとき、それが誰であっても、崇拝したり、信じたり、信奉したりしてはいけない。


政治家はアイドルではないし、芸能人でもない


テレビに出ている芸能人が政治家に転身することが多いが、政治家はアイドルではないし、芸能人でもない。

特定の政治家に惚れてはいけないし、崇拝してもいけないし、ことさら持ち上げてもならない。政治家とは距離を置いて見つめなければならない。

なぜなのか。政治家は変節しやすい立場にあるからだ。

中には最後まで日本のために純粋で一途な政治家もいるのだが、私たちには誰がそうなのか見分けが付かないことが多い。そのため、政治家は「信じるのではなく、利用する」というスタンスでいなければやっていけないのが現状だ。

私たちは「政治家の使い捨て」をしたいとは誰も思っていない。曲がりなりにも選挙で選んだ政治家を、使い捨てにして税金を無駄にしたくない。

国益に沿ってきちんと働いてくれる政治家がいれば、長持ちして欲しいと思う。

ところが、政治家の方が国民を裏切るケースが続出する。国益よりも私欲に沿い、舛添要一のように公私混同に狂い、自ら自分の立場を不安定化するのだ。

最初に言っていたことと、実際にやっていることが180度違っていたら国民に捨てられても仕方がない。しかし、舛添要一だけでなく、多くの政治家が私利私欲で国民を裏切る。

そんな政治家は去ってもらわなければならないのだが、そのためには、政治家を崇拝していてはまずいことになる。なぜなら、崇拝は盲信を生み出し、盲信しているがゆえに切り捨てられなくなるからだ。

今さら舛添要一を支援するのは、自分も私腹を肥やしている人間か、もしくは犯罪を犯して前科を持つような人間だけしかいない。

しかし、騒ぎが大きくなるまで、舛添要一みたいな人間でも金を払ってその講演を聴きたいと思う崇拝者もいたのである。

「私利私欲」は政治家を堕落させる最大の要因だ


なぜ、政治家がすぐに駄目になっていくのかは、いくつかの理由がある。

まず第一に上げなければならないのは「私利私欲」だ。政治家になるのは、崇高な理念を実現するためと答える政治家は少ない。ところが、その多くは私利私欲で動いている。

儲かるから政治家になる。儲けるために政治家になる。

そういった私利私欲が主になると、金にならない「国益」は二の次か、もしくは自分には関係のないものになるから、そういった政治家は、税金で養う意味もない。

また、最初は本当に理想と理念を持っていた政治家も、権力と利権が転がり込むと、あっと言う間に変節して理想・理念を忘れて金に走る。

「私利私欲」は政治家を堕落させる最大の要因だ。

それだけではない。政治家が最初と最後で言うことが真逆になることもあるのは、妥協をし続けるからである。

政治はひとりで行うものではない。大勢の意見、利害、ロビー活動によって大混乱の中で方向性が決定していく。

ひとりの政治家が「このように決めよう」と考えて、そう決まるほど世の中は甘くない。何かを提案した瞬間に、それは反対のための反対、議論のための議論に巻き込まれる。

政治家には猛烈な圧力がかかり、集中攻撃を受け、ときには決断に対して批判の矢面に立たされることになる。恐喝や暗殺予告を出されることもあるし、スキャンダルを暴露される危険性も高まる。

叩けば埃の出ない人間はいないのだから、探られれば間違いなく政治生命に関わるスキャンダルが出てくる。

そんな状態になったとき、よほどの信念を持っていない限り、理想と理念を貫くことは難しい。どうしても、我が身可愛さと生き残りを考えて、妥協してしまう。

妥協しなければ政治的にも抹殺されてしまので、妥協するしか生きる道が残されていない。弱みを握られて、追い込まれると、政治家は最初に言っていたことと180度違うことも言わざるを得なくなる。

そうやって政治家は駄目になる。

とうとう何者なのか分からなくなるのが政治家


舛添要一のように金にがめつい人間は、すぐに金で転ぶ。あるいは、橋本龍太郎のようにハニー・トラップに引っ掛かってしまう政治家もいる。

金と女は、昔から人間を籠絡するための古典的なツールだが、それが古典的であるというのは、要するに手口としては非常に効果があるということだ。

効果があるので、政治家のまわりには常に金と女が付いて回る。それは、いつもニンジンのようにぶら下げられて、政治家が引っ掛かるのを待っている。

一度でも引っ掛かると、政治家は自分の理想と理念とは違うものであっても、金の供給者、女の供給者のために動くしかなくなる。

そして、操られることになった政治家は、もう理想や理念を語ることもない。そのうち、最初に言っていたことと180度違うことも言い出すようになる。

だから、政治家は最初は理想と理念の実現に燃えていても、やがては真っ黒に染まっていき、とうとう何者なのか分からなくなってしまう。

絶対に、何が何でも理想と理念を貫き通す政治家もいるかもしれない。ゼロとは言わない。しかし、そういった政治家は非常に希有であり、稀少だ。

それなら私たちは現実問題としてどうすればいいのか。

絶対に守らなければならないのは、特定の政治家を、崇拝したり、尊敬したり、盲信したり、従属したりしないということに尽きる。

特定の理念を標榜する政治家を応援したり、利用したりすることは構わないが、いずれはその政治家も変質してしまう確率は高いので絶対に崇拝しては駄目だ。

特定の政治家を崇拝すると、その政治家が変節した時に私たちは立場を失ってしまう。

私たちは政治家が変節したと判断できるときは、いつでもその政治家を断ち切れるようにしておかなければ、自分が身動きできなくなるのだ。

政治家が変節した瞬間、捨てられるようにしなければならない。雰囲気に飲まれて、特定の政治家を崇拝することがあってはならない。

その人物が何を掲げて当選したのかを常に見つめ、変節したら切り捨てる距離感が私たちに必要になる。

舛添要一だけでなく多くの政治家が私利私欲で国民を裏切る可能性がある。それを心しておく必要がある。裏切られたら、切り捨てる。政治家として変節したら断ち切る。それができる距離感が必要なのだ。

舛添要一は金のかからない都政を掲げて当選したのだから、公私混同で金を使いまくっているのであれば、切り捨てるのは当然のことだ。

切り捨てることができないのであれば、日本の政治には未来がないということでもある。



今さら舛添要一を支援するのは、自分も私腹を肥やしている人間か、もしくは犯罪を犯して前科を持つような人間だけしかいない。しかし、騒ぎが大きくなるまで、舛添要一みたいな人間でも金を払ってその講演を聴きたいと思う崇拝者もいたのである。


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