2016-05-26

舛添要一や岩﨑友宏のような異常者を、制御できると思うな


日本中を呆れさせている東京都知事の舛添要一の公私混同事件の最中、2015年5月21日には東京都小金井市で現役大学生のアイドルを岩﨑友宏という男が20箇所をめった刺しするという事件が起きている。

東京都知事の舛添要一とストーカーの岩﨑友宏は、社会的立場も年齢も生い立ちもまったく違っているが、その異常性には似通った部分がある。

あまりにも自己中心的で、自分第一で、自分のためなら他人が犠牲になっても平然としているという性格の異常さが完全に一致しているのだ。

舛添要一は週刊紙「週刊文春」に、その人間性の下劣さや品性のなさを徹底的に暴かれているのだが、その行動の下にあるのは、病的なまでの「自己中心主義」である。

都民の税金を自分の財布のように使いまくり、都職員には節約を説く。

自分はファーストクラスにスイートルームに温泉に家族旅行に高級料理で贅沢三昧して、それを咎められてもまったく何とも思わない。

これは自己中心主義の極みである。


自分本位で、身勝手で、わがままで、利己主義


一方でストーカー犯罪者の岩﨑友宏も、一方的にひとりの女性に粘着し、相手がどう思っているのかも無視してプレゼントを送りつけ、無視されたり拒絶されたら待ち伏せして顔面や首や背中をめった刺しする。

これもまた、激しい自己中心主義であると言える。

舛添要一も岩﨑友宏も、自分本位であり、身勝手であり、わがままであり、利己主義であり、他人の気持ちを一片も思いやることができない欠陥人間だ。

日本人は他人との関係を重視するあまり、自分を殺してまで他人を立てようとする人すらもいる。そうした国民性から見ると、この2人のやっていることは、まるで日本人ではないような薄気味悪いものを感じる。

日本人の本来の気質から完全に外れたところにいるのが、舛添要一や岩﨑友宏という人間なのである。

舛添要一はあちこちで「もしかしたらこの男はサイコパスではないか?」と言われるようになっている。

確かにサイコパスの定義を当てはめると、確かにかなりの点でこの男の言動はサイコパスに近い。(「舛添要一はサイコパスではないか」という疑念が出ている

同じような目で見ると、岩﨑友宏も良心が欠落し、罪悪感もなく、自意識過剰で、自分が受け入れられないと分かると激しい恨みを抱き、そして恨みを火のように爆発させて相手を破壊するのだから、サイコパスの一面を持っている。

舛添要一も岩﨑友宏も、共に表面的にはまともな人間に見えて、その裏側はかなり危険な人物である。

舛添要一は結婚した相手の女性を頭ごなしに罵ったり、目の前でサバイバルナイフを並べたり、彼女の私物を踏みつけたりするような人間であることは、元妻だった片山さつき氏が何度も何度も証言している。

「人間として最悪の部類に入る」のが彼らである


誰でも自分の思う通りにならないと、もどかしさを感じるし、もっと何とかできないかという焦燥も感じる。時には現状に怒りを感じることもあるだろう。

しかし、普通の日本人はそこで現状に対して「恨み」を抱いて「日本死ね」と思うことはない。民進党の山尾しおりのように「日本死ね、と言われている」と大騒ぎすることもない。

普通の日本人であれば、たいていは現状を変えるために自分ができることはないかと前向きに考える。それが日本人独自の「改善」や「改良」の文化につながっていく。

さまざまな不満や不便を思いやりや気遣いで改良していくのが日本文化の神髄であり、多くの日本人がそうした気質を受け継いで生きているのである。

だから、日本という国はとても美しい国になっている。

ところが、舛添要一や岩﨑友宏のような人間は、日本人の気質とは真逆のところにある。いろんな意味で、とても日本人とは思えない気質だ。

身勝手で自己中心的なふるまいを当然のように行い、自分の思い通りにならないと激しい怒りを感じ、それが「恨み、つらみ」になる。

たとえば岩﨑友宏は、自分が勝手に相手に惚れて、勝手に時計をプレゼントだと言って送りつけ、彼女が相手にしないと「返せ」と言い出していた。

その通りに彼女が返したら、今度は「自分を拒絶した」と激しく恨んで彼女をめった刺ししている。

身勝手なふるまいをして、それが受け入れられないと反省するのではなく、自分を受け入れない相手に強烈なまでの「恨」を抱き、そして殺意さえ持つ。

自分の自己中心主義が生み出したものなのに、それによって被害者意識を持つのだから始末が悪い。「人間として最悪の部類に入る」とは、まさにこのような男のことを言う。

このような気質を持った人間がいるというのは、いかに災厄かというのが分かるはずだ。

決して関わらない。付き合わない。徹底的に避ける


舛添要一や岩﨑友宏のような人間は、日本社会の表側にも裏側にも一定数存在する。

こうした気質を持った人間は、見かけで判断できないし、彼らは人を騙すことに長けているので、最初は何も知らずに騙されることもある。

舛添要一は都知事になる前から人間的におかしいと指摘され、このような男を都知事にすることに激しい反撥も一部にあったのは事実だ。

しかし、知名度のあった舛添要一はまんまと都民を騙して都知事の座に上り詰めた。あげくの果てに、やりたい放題をやって反省もせずに地位に固執し、東京都民は今この男を都知事にしてしまった失敗に苦しんでいる。

ここから得られる教訓は明らかだ。

人間性のおかしい異常者と関われば必ず被害を被るということだ。そして、時には命の危険さえも発生する。舛添要一や岩﨑友宏は、関わってはいけない人間だったのである。

いくら美辞麗句を連ねても、いくら情熱的に愛を囁いても、異常者は結局のところ自分のことしか考えておらず平気で他人を踏みにじることができるので、関わった人間はみんな不幸になっていく。

「価値感を共有していない」のだから、そんな相手と関わってうまくいくと考える方がどうかしている。関われば関わるほど、こちらが不幸になっていく。

自己中心的で、すぐに恨みを抱き、価値感を共有していないと分かる人間には決して関わらない。付き合わない。徹底的に避ける。

「友好」だとか「仲良くしよう」とか言われても、それを文字通りに受け止めると、相手に取り込まれてワナに堕ちる。自己中心主義の人間がそんなことを言ってくるのは、利用したいときだけなのである。

「誰とでも仲良くしなければならない」とか思ってはいけない。それは致命傷になる。舛添要一や岩﨑友宏のような異常者を制御できると思ってはいけない。自己中心主義の人間は制御できないから異常なのである。




自己中心主義の人間と関われば必ず被害を被り、時には命の危険さえも発生するということだ。舛添要一や岩﨑友宏は、関わってはいけない人間だった。

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