2016-05-23

「論理的、現実的、合理的」の方向に考え方を転換していく


今の社会を生きるには、非論理的なものを信じたり関わったりするよりも、論理的なものを信じたり、そこに関わる方が大きなメリットがある。

なぜなら、社会全体が論理的な思考や考え方や行動を求めており、それが現代文明の方向性となっているからである。

同じように、今の社会を生きるには、非合理的な考え方をするよりも、合理的な考え方をして、合理的に行動した方が大きなメリットが得られる。

なぜなら、現代は凄まじいまでの情報化社会であり玉石混交の中から正しいものを選択するには合理的であった方が正しい答えに辿り着ける確率が高いからだ。

合理的であることは、非合理的であるよりも、はるかに大きなメリットが得られる。

しかし、世の中には、合理的ではない考え方、非論理的なもの、非現実的な解釈をするものが大きな人気を得て、それらが熱狂的に信じられていたりする。

また、証明しようがないもの、あるいは証明すること自体が意味のない概念が信じられていたり、人々の関心を捉えていたりする。それはなぜなのか。


「非論理的、非現実的、非合理的」に支配されるな


実は、非論理的なもの、非現実的なもの、意味のない概念というのは、突飛であったり滑稽であったりするので、現代人の娯楽になり得る。だから、人々が虜になる。

しかし、娯楽はしょせん娯楽である。娯楽はそれ以上でもそれ以下でもない。単なる暇つぶしだ。

暇つぶしだから、それは面白ければ面白いほど良いわけで、だから非論理的なものはますます非論理的なものになり、非現実的なものはますます非現実的になっていく。

そういった非論理的、非現実的、非合理的なものに関わり続けていると、考え方の志向や方向性がそちらに引きずられやすくなり、あまり良い影響にならない。

「非論理的、非現実的、非合理的」が自分の考え方を支配するようになっていくと、大事なときにきちんとした判断ができなくなってしまいやすい。

普段から合理的で現実的な考え方をする人は、大事なときもスムーズに合理的で現実的な判断ができる。

しかし、普段から非合理的、非現実的な世界に浸っていると、大事な判断をしなければならないときも非現実的な方向に引きずられていく。つまり、思考の癖が悪い方向に出てしまう。

だから、世の中で信じられている現実的でも合理的でもないものには深く関わるべきではない。それがいくら長い歴史があっても、そんなことは何の慰めにもならない。

世の中には「非論理的、非現実的、非合理的」な考え方や世界がたくさんある。自分の関わっているものが、そうした世界に通じるものであるのであれば、そこから離れて反対側の席に移る方が「合理的」なのである。

現実的で合理的である方が現代社会で収穫を得られやすいのだから、わざわざそうではないものに引きずられる方がどうかしている。

「非論理的、非現実的、非合理的」から、離れ、関わらない方が絶対に良い。

「正しい選択」をする回数が増える考え方をする


人は何を信じてもいい。だから、「非論理的、非現実的、非合理的」なものを心の底から思い切り信じても、それは個人の自由であり問題ではない。

しかし、現代の社会では、そのどれもが自分の生活に大きなダメージを与えるものになりかねないので、そこから離れた方が間違いなく良い結果が得られる。

「非論理的、非現実的、非合理的」は客観性を見失わせる元になる。客観性が見失われると、間違いが間違いと気付かず、破滅が待っていても破滅を止めることができなくなる。

軌道修正をするためには現実的かつ合理的であることが望まれるのだが、現実を見ないで合理的な判断もできないのであれば、人生で得られるものは何もない。

「非論理的、非現実的、非合理的」な考えを持ち、そのように動くというのは、何もかもが行き当たりばったりになるということである。生き方自体を支離滅裂なものにしてしまう元凶になる。

論理が支配している社会で、自分ひとりが非論理的であれば、ダメージを受けるのは社会ではなく自分なのである。支離滅裂な生き方をすれば、支離滅裂な結果しか返ってこない。

論理的に、現実的に、合理的に生きるだけで、人生はかなり違ったものになる。この正しい道に戻れない限り、人生はいつまで経っても好転できない。

非論理的であるよりも、論理的である方が「正しい選択」に結びつきやすい。非現実的であるよりも、現実的である方が「正しい選択」に結びつきやすい。非合理的であるよりも、合理的である方が「正しい選択」に結びつきやすい。

人間はいつでも正しい選択ができるとは限らない。しかし、「正しい選択」をする回数が増える考え方をしていると、そうでないよりもメリットが得られやすい。

つまり、論理的、現実的、合理的な考え方を意識して取り入れ、そうでないものを排除していくのは、最終的には大きな選択ミスをしなくなって安定した人生を手に入れる元になる。

「非論理的、非現実的、非合理的」を消していく


「非論理的、非現実的、非合理的」は、どこまでも飛躍が許されるので、思考が歪み、行動が歪み、社会適応能力が歪んでいきやすい。

そうした歪みは最終的に自分と社会のズレを生み出して、それが自分の人生を苦しめる元凶と化す。

「非論理的、非現実的、非合理的」が生み出した飛躍は、思い込みに支えられているわけで、それが深まると「思い込みが激しい」状態となる。

「思い込みが激しい」というのは、現実ではないことを現実と思って、本当の現実が見えなくなってしまうことを指す。社会の常識から外れ、社会性を見失っていくのである。

現実に立ち返り、現代社会から利益を得るには、ひとつひとつ自分の中から「非論理的、非現実的、非合理的」を消していくのが一番いい。

そうすることによって得られるメリットは、計り知れないものがあるのだから、別にためらうようなことではない。それは「悪くない話」なのである。

客観性を取り戻して的確な判断ができるようになり、支離滅裂な生き方を軌道修正するかとができるようになる。

正しい判断をする確率が自ずと増えるので、それだけで生きやすくなる。歪んでいた思考や行動がまっすぐになる。その結果、社会適応能力も増す。

妄想に耽ることがなくなり、社会性を取り戻すことができるようになっていく。

論理的になること、現実的になること、合理的になることは、ただそれを求めるだけで、利益が増えるのだ。正しい決断が増えるので、自分の人生に大きな利得を呼び込めるだけでなく、まわりにも信頼されるようになる。

どこまで自分が論理的に、現実的に、合理的になれるのかは、その人の能力や気質による。しかし「論理的、現実的、合理的」になろうと努力して損することは決してない。

方向性が間違っていなければ、悪い結果は避けられる。



どこまで自分が論理的に、現実的に、合理的になれるのかは、その人の能力や気質による。しかし「論理的、現実的、合理的」になろうと努力して損することはない。方向性が間違っていなければ、悪い結果は避けられる。

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