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2016-03-05

スタートを同じにしても、やはり格差は生まれるという現実


日本財団は、2016年3月4日、子供の貧困対策を取らなかった場合の税収面などの社会的損失は子供の生涯所得が減り、ひいては政府の税収も減ってしまうと報告している。

しかし、日本だけではなく、アメリカもそうなのだが、格差が社会に問題をもたらすと警鐘が鳴らされ続けているにも関わらず、まったく改善していない。

その理由は明らかだ。現在の資本主義の構造からして、格差の是正はほぼ不可能だからである。

資本主義の世界では、資本を持っている者が得するようにできている。そして、資本を持っている者と持っていない者の差は、何もしなくても、どんどん開いていくことになる。

これは単純な話だ。

配当の年利回りが3%の株式があったとする。資本を持っている人が1億円でそれを所持し、資本をあまり持っていない人が100万円でそれを所持したとする。

税金・手数料を考えないで考えると、1年経って手に入る配当は、1億円の人は300万円、100万円の人は3万円となる。

同じ3%の条件であっても、結果は297万円も違う。現実は1億円と100万円どころではなく、個人で数十億、数百億の資本を持っている人もいれば、ゼロの人もいる。資本主義では、これほど圧倒的な差が付いたまま競争をしなければならない。


正しい子宮から生まれて来たかどうか


資本主義の時代が長くなればなるほど、格差が超絶的に開き、最終的には1%が99%を支配する世界になっていくという理由がここにある。

生まれながらにして、貧富の差はある。生まれた瞬間に、すでに大きな格差があり、人生が違ってしまう。

金持ちの没落や貧困者の成り上がりというドラマはあるが、ほどんどは金持ちは金持ちのまま終わり、貧困者は貧困者のままで終わる。

アメリカの資本家の中には、これを「正しい子宮から生まれて来たかどうか」という言い方をする人もいる。

正しい子宮から生まれてきた子供は、夢うつつで暮らしていても親の資本を継承できるので、放っておいていても、どんどん金持ちになっていく。

配当の例を見ても分かる通り、資産を持っているだけで、その資産が金を生み出すのである。

逆に、誤った子宮から生まれてきた子供は、元がないので苦難の人生が待っている。夢うつつで暮らしていたら、餓死に追い込まれていく。

アメリカでは、上場企業の経営者は数百億円もの年収を稼ぐ人も珍しくないのだが、その一方で労働者は最低賃金以下の給料でワーキングプアに陥っている。

金持ちはさらに金持ちに、貧困者はさらに貧困者になる。

アメリカでは、こういった状況に抗議する「反格差デモ」も起きているが、すでに超格差社会と化したアメリカでは競争すらも意味がないところにまで到達している。

一生懸命に働いたら、金持ちになれるというアメリカン・ドリームはどんどん狭き門になっているのだ。

アメリカはまだ建国238年ほどの若い国だが、たった200年近くでこのような結果になった。

資本主義は、自ずと格差を生み出す


資本主義は自ずと格差を生み出す仕組みになっている。だから、格差はどんどん開いていく。仮にスタート地点が同じだったとしても、やはり格差は開く。

金に対する関心の度合いひとつでも、格差は生まれるのだ。

私たちは生きるために働いているのだが、なぜ働いているのかというと、資本主義で生きるためには金が必要だからである。

金がなければ生きていけないので、まったく金に興味がない人間でも、生きるために必死で働かなければならない。そこで、誰もが金を手に入れるために命を削ることになる。

しかし、人間の興味は多種多様であるのも事実だ。

金よりも他のことに興味がある人も多い。必要最小限の金を手に入れたら、あとは金儲けではなく、他のことに没頭したいという人は山ほどいる。

つまり、資本主義の原点である「資本を増やす」ことには、まったく関心のない人は多い。

金が欲しいと思っていても、それは金を愛しているからではなく、金を手に入れて「他のものと交換したい」と思っているだけなのである。

金が入れば何かをコレクションする人や、金があれば趣味に注ぎ込む人は、まさにそんなタイプだ。

どんなに金を稼いだとしても、本当は金が重要だとは思っていない。「金で買えるもの」の方を愛している。

それは別に悪いことでも何でもない。それがその人の人生なのであり、誰もそれを批判することはできない。実のところ、多くの人はそんなタイプだ。

分かりやすく言えば、どんなに金のために粉骨砕身で働いているとしても、その人が必ずしも金を愛しているというわけではないということだ。

スタートを同じにしても、やはり格差は生まれる


(1)金が増やせるから金が欲しい。
(2)使いたいものがあるから金が欲しい。

この2つは、まったく違う。「金を増やすために金が欲しい」「金そのものが好きなのだ」という人は、本当の意味で資本主義に向いた性格だ。

一方で「欲しいものを買うため」「浪費するため」「やりたいことをするため」に金が欲しいというのは、いくら金を稼いでいたり持っていたとしても、資本主義に向いているわけではない。

だから、本当に金が好きで金を増やすことに意義を感じている資本主義向きの人と、そうでない人は、まったく同じ給料をもらっていたとしても貯金や資産に差が出てくる。

最初は、同じ「持たざる人」だったとしても、金を増やすために金が欲しい人は、そればかりしているのだから使わない分だけ増えていく。

それが長年に渡って継続すると、大きな差になっていく。

しかし、どんなにそれが分かっていたとしても、金に関心がない人はやはり好きなこともしないで金を貯めようなどとは思わないだろう。

だから、どんなに機会を平等にしたところで、結果が平等になるわけではない。これが格差である。

貧困問題が絶対に、何をしても解決しないという理由の一因はここにある。

資本主義の原点である「資本」を前にして、それを貯めたい人と使いたい人では、人生の方向性が違っているのだ。当然、結果も違ってしまうのは当たり前だ。

(1)金が増やせるから金が欲しい。
(2)使いたいものがあるから金が欲しい。

問題は、自分がどちらなのかということだ。この問いかけは非常に重要なものになる。なぜなら、それによって自分の人生は資本主義の中で天と地ほども変わってしまうからだ。



どんなに機会を平等にしたところで、結果が平等になるわけではない。

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