2016-02-24

社会が良くなっていないのに自殺率が減ったのは悪い兆候だ


世界中どこでも、失業率が高まっていくと暴動が起きる。

ブラジルでもベネズエラでも建物が放火され、商店が略奪されるような暴動は日常的に起きているし、中国でもインドでも失業率が高まると頻繁に暴動が起きる。

イギリスでもフランスでもスペインでも同じだ。仕事が消えて追い詰められた人々は数万人、数十万人の規模で暴動を起こし、街を破壊する。

先進国でも後進国でも変わらない。人々は追い詰められれば「何とかしてくれ」と大暴れするのである。

ところが、日本では暴動がほとんど起きない。

すでに日本では1990年以後のバブル崩壊で経済大国からすべり落ちて、浮上することなく今に至っている。

経済のグローバル化も推し進められていき、2000年以降は非正規雇用が爆発的に増え、働いても働いても低賃金から逃れられない時代に入っている。

貧困層は増え続け、格差は開き続けている。しかし、日本人は救いのない絶望を受け入れ、暴動を起こすことなく淡々と暮らしている。


暴動は起きない。その代わりに日本人は自殺する


日本人も怒りを感じていないわけではない。年々悪化していく就労環境に真綿で首を絞められるように困窮していき、不安と怒りを胸に秘めているのだ。

それでも暴動は起きない。その代わりに日本人は自殺する。暴動とは外に向かう怒りの発散だが、自殺は内側に向かう怒りの発散である。

日本人は怒りを抱くと、外ではなく内へと向かう傾向があるとはよく言われる。

だから、社会的に追い詰められても、デモや暴動で暴れるのではなく、自分を責める方向に向かっていく。

「就職できないのは自分が劣っているからだ」
「就職できないのは自分が望まれていないからだ」
「自分は役に立たず、経験も足らず、優秀ではない」
「リストラされたのは自分が至らないせいだ」
「給料が下げられたのは自分が至らないせいだ」
「自分が食べていけないのは自分に能力がないからだ」

日本人は心の中で自己批判する傾向が非常に強い。自分に起きた不幸を社会のせいにするというよりも、自分のせいにする。そして、それによって自分を追い込んでいく。

社会のせいだと思えば暴動に結びついていくのだが、自分のせいだと思えば自分を責める方向に向かっていく。社会も「個人の能力が至らないのに、社会のせい、他人のせいにするな」という自己責任論がまかり通っている。

しかし、真面目に働いている人が追い詰められるというのは、すべてが個人の資質の問題だけでなく、明らかに社会のあり方や景気悪化や収奪的な資本主義にも問題がある。

すべてが個人の責任ではないのだ。

それにもかかわらず、日本人は個人で社会の矛盾や不景気の結果までを、対処できない自分が悪いと考えて、追い込まれていく。真面目な人ほどそうだ。

社会が良くなった形跡もないのに自殺率は減った


ところで、昨今は自殺率が下がっている。世の中が良くなったのだろうか。いや、世の中は何も変わっていない。良くなるどころか、むしろ悪くなっている。

生活保護受給世帯は過去最多を記録し続け、若年層の貧困と同時に、高齢層の貧困もまた深刻化してしまっている。

非正規雇用も2000年代に入ってから急激に増え始めて止まらず、厚生労働省の最新の調査ではすでに「民間事業者に勤める労働者のうち非正規社員の占める割合」は40%を超える事態となっているのである。

そしてこの非正規雇用者の年収が男性で225.5万円、女性で143.6万円という低収入なのである。

非正規雇用者はどんなに長く働いても年収がアップするということはない。そして、企業が少しでも売上が落ちると真っ先にクビを切られるという不利な待遇だ。

これで社会が良くなったと強弁できる人はどこにもいない。日本の社会は1990年代から一貫して状況が悪化し続けているのである。

ところが、2013年から自殺率は下がった。下がったと言っても、依然として2万5000人を超えているので少なくなったとは言えないのだが、それでも減ったのは間違いない。

なぜだろうか。

政府は景気が回復したからだと言うのだが、それは違う。2013年の景気回復は「金融市場のみ」に起きていたので、株式資産を持った人間だけが潤う金融資産限定の景気回復だったのだ。

株式を持つことができる富裕層や株式を大量に買った抜け目のない人間は確かに金融資産を増やした。しかし、株式など持つ余裕もない非正規雇用者の多くが、恩恵を受けた形跡はない。

「富裕層から貧困層へ富がしたたり落ちる」社会現象を意味するトリクルダウンも起きていない。にもかかわらず、自殺率は減った。

経済的に衰退していく日本の姿しか知らない


社会が良くなった形跡もないのに自殺率は減った。それは、こういうことかもしれない。

自殺というのは、良い状況から悪い状況に落ちたときの喪失感や絶望感によって生まれる。日本は1990年以来、ずっとそのような状況だった。

不動産価格は落ち続け、仕事は減り続け、給料は下がり続け、かつての高度成長の記憶やバブルの記憶がある人であればあるほど喪失感は強い。

「あの頃は良かった」という気持ちは、どんなにもがいてもそれが手に入らない現在となっては重荷となる。人は「落ちぶれた」という状況が一番つらい。

しかし最近は、最初から貧困、最初から低賃金の人たちで溢れるようになった。つまり、「良い状況」を知らないまま、悪い状況が当たり前として暮らしていく。

そうなると、「良い状況から悪い状況に落ちた」という喪失感や絶望感がない。

生活環境を落としたくないという焦燥感もなければ、良い車が欲しいという気持ちもなければ、住宅ローンを組む予定も最初からない。

貧困が固定化し、しかも貧困の仲間が多いと、それが当たり前だから逆に何も感じなくなってしまうのだ。自殺者が減っていくというのは、要するに「悪い状況」が日常になった人が増えたということを意味するのではないだろうか。

1990年から日本の経済的な衰退が始まったと計算すれば、現在で26年目になる。すでに20代や30代の日本人は、経済的に衰退していく日本の姿しか知らない。

貧困が当たり前になった。 そうなると、それが自殺する要因にならなくなってしまう。

貧困に落ちたくないという焦燥感は自殺を誘発する。

しかし、最初から低賃金で貧困であったなら、それが生まれながらの日常なので焦燥感がない。自殺者が減ったというのは、すなわち日本も「貧困層の固定化」がいよいよ起きていると考えれば、納得できるかもしれない。

社会が良くなっていないのに自殺率が減ったのは「貧困層の固定化」という悪い兆候が起きているということなのだ。



最初から低賃金で貧困であったなら、それが生まれながらの日常なので焦燥感がない。自殺者が減ったというのは、すなわち日本も「貧困層の固定化」がいよいよ起きていると考えれば、納得できるかもしれない。

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