2016-02-13

なぜ押し付けられているものを拒絶すると自分が見えるのか


アフリカの大地をジープで走ると、大勢の子供たちがジープの後ろを走って喜んでいる姿を、あなたはテレビや映画で見たことがあるはずだ。

あるいは、祭りで先頭の賑やかな一団の後を、無意識について回っている人の姿を、あなたは見たことがあるはずだ。

あるいは、有名人が街を歩いていると、そのファンや野次馬がやはり、ぞろぞろと後ろを歩いている人の姿を、あなたは見たことがあるはずだ。

あるいは、観光地で旗を持ったガイドの後ろを、何も考えないで歩いている人を、あなたは見たことがあるはずだ。

先頭が向かっている方向に、後ろの人間が何も考えずに従う姿は、別に珍しい光景ではない。先頭の人間はどこに向かうか、何を目指しているのかは知っている。

しかし、後ろを歩いている人間には、先頭がどこに向かっているのかは何も知らない。ただ、盲目的に付いて回っているだけで、主体性があるわけではない。知らずして、どこかに連れて行かれている。


自分よりも他人の意見が「主」になっている


先頭に従う。流行に従う。群衆に従う。テレビに従う。

実は、日本人はどの民族よりもそういった傾向が強いことはよく知られている。たとえば、流行に従うというのは、こういった言葉に集約される。

「みんなが見ているテレビ番組を、自分も見る」
「みんなが持っているものを、自分も欲しい」
「流行っているから、自分も手に入れる」
「みんなが良いというから、自分も良いと思う」

これはひとことで言うと、自分が特に好きではなくても、みんなが好きだと言っていたら、自分も好きになるということであり、自分よりも他人の意見が「主」になっている状態を指している。

場合によっては、自分の意見が存在していない可能性もある。

「自分の意見が存在しない」「他人に従う」と言えば、誰でも危険な状態であると分かるが、そんな危険な状態でも、実はひとつの大きなメリットがある。

先頭が正しければ、自分は何も考えず、疑問も抱かず、大船に乗った気分で、まっすぐと正しい方向に向かえることだ。

何しろ、先頭が正しいのだから、難しいことも面倒な決断もしなくてもいい。ただ従うだけで正しい方向に導かれる。これは楽だし、効率が良い。

だから、「他人に従う」というのは、あながちデメリットばかりがあるわけではない。場合によっては、猛烈に楽な人生を送ることも可能だ。

社長が間違うと、自分の人生が吹き飛ぶ


しかし、先頭が間違うと、どうなるのか。先頭が手痛い間違いを犯すと、当然だが自分も一緒に間違う。

先頭が崖から落ちると、自分も崖から落ちる。先頭が裏切ると、自分はカモにされる。先頭が乗っ取られると、自分が食い物にされる。

それも、やすやすと突き落とされ、裏切られ、カモにされ、食い物にされる。なぜなら、今までずっと先頭に従って生きてきたので、もはや自分の意見がまったくないからだ。

日本人の多くの人々は、サラリーマンとして人生を送る。サラリーマンになるというのは、社長という「先頭」に従うということである。

サラリーマンは、自分が会社を経営しているわけでも、自分が決断しているわけでもない。多くは、言われたことを黙ってこなしている。

ということは、社長が間違うと、自分の人生が吹き飛ぶということでもある。

社長が致命的なまでのミスを犯すと、もちろん社長も自分の人生が破滅する。しかし、順番から言うと、社員を切り捨てる方が先だから、社長よりも社員が先に苦境に落ちる。

日本は戦後から1989年までは一貫して成長局面だったので、多くの日本人は黙って会社に従っているだけで、自分は何も考えなくても生きていけた。

ところが、1990年代から日本が衰退局面に入ると、先頭が間違ったり、先頭が立ちゆかなくなったり、先頭が乗っ取られたり、先頭が死んだりして、先頭に従って自分が死ぬケースが増えて来た。

2010年以降は、さらにそれが加速して、先頭が率先して後ろに従ってくる人間たちを切り捨てるようになっている。つまり、日本人の多くが苦境に陥っているのは、もはや先頭が頼りにならなくなっているからだ。

それでも先頭に黙って従って、先頭と一緒に地獄に堕ちるのが、典型的な日本人の姿であるとも言える。

それが駄目になったら、みんなまとめて駄目になる


黙って従っていたらメリットが享受できる時代は終わってしまった。

これは、若年層の生き方にも強く影響する。若年層は、「良い大学に行って、良い会社に行く」という「みんながやっていること」に従っていれば良かった。

「良い大学に行って、良い会社に行く」というのは、日本人の人生設計の「流行」だったのだ。

日本人の8割がサラリーマンであるとすれば、日本人の8割が「良い大学に行って、良い会社に行く」という人生設計しか考えていなかったということになる。

だとすれば、サラリーマンという生き方が崩壊しつつある今、この「流行の生き方」では、もう人生が渡っていけないということになる。

なぜ、大学を卒業しても仕事がないのか。
なぜ、就職活動で数十社に断られるのか。
なぜ、就職活動で絶望して自殺するのか。

答えは簡単だ。もう、この流行の人生設計は「時代に合わないもの」「間違った生き方」になっているからである。

人には、いろいろな生き方、いろいろな道、いろいろな哲学があるのに、単に「良い大学に行って、良い会社に行く」という考え方しか用意されていないとすれば、それが駄目になったら、みんなまとめて駄目になるのは当然だ。

良い大学に行って、良い会社に行くという考え方は、国や社会が日本人に押し付けていた「流行」だったのだ。

その「流行」が終われば、流行に乗っていた人間は、みんな終わってしまうのである。事実、今そのようになっている。

流行に乗り、黙って従っていたらメリットが享受できるという日本特有のメリットの時代は終わった。

いつまでも弄ばれるがままになってしまう


日本人の世論は、マスコミが作っている。

新聞社もメディアも、衰退産業とは言えども、いまだに圧倒的なパワーを持った媒体であり、その影響力を過小評価するのは間違っている。

マスコミは、流行(トレンド)を作り出すことができる。

では、そのマスコミが間違うと、どうなるのか。もちろん、先頭が間違うのだから、それに黙って従っている後ろの人間はみんなまとめて間違うということになる。

先頭が歪曲した情報を垂れ流せば、日本人はみんな歪曲した情報を信じ、先頭が世論誘導を垂れ流せば、日本人はみんなそちらに誘導されていく。

だから、「みんなが見ているテレビ番組を、自分も見たい」とか、「みんなが良いというから、自分も良いと思う」という発想がある人は、みんなまとめてマスコミに心を弄ばれることになる。

もうマスコミは信じてはいけないものの代表になっているが、それでも「先頭に従う」という心理状態から抜け出せなければ、いつまでも弄ばれるがままになってしまう。

先頭が右と言えば右、左と言えば左に行くのは、みんな揃って自滅への道を辿っているかもしれない。

今、しなければならないことは簡単だ。主体性を取り戻せばいい。主体性を取り戻すというのは、自分の人生を取り戻すということにつながる。

何をすればいいのか分からなければ、一番簡単な方法がある。とても、簡単で、すぐにでもできる方法だ。

意識的に押し付けられたものを拒絶する


それは、社会や国やマスコミが押し付ける流行(トレンド)を「拒絶する」ことだ。

・流行(トレンド)を拒絶する。
・押し付けられた意見を拒絶する。
・敷かれたレールを拒絶する。
・自分の哲学とは相容れないものは拒絶する。

流行を拒絶すれば、「では、自分は何が好きなのか?」という話に必ずなっていく。自分が好きなものを自分で選ぶのが主体性を持つということだ。

押し付けられた意見を拒絶すれば、「では、自分の意見は何なのか?」という話に必ずなっていく。自分の意見を自分で選ぶのが主体性を持つということだ。

国や社会が頼りにならなくなってきているということは、そこから自分を切り離して、自分の生き方を模索しなければならなくなっているということだ。

それならば、社会から押し付けられているものを、いったん拒絶することによって、自分を取り戻すことができる。

日本人はいつも「受け入れること」「自分を出さないこと」「従うこと」に重点を置いてきた。だから、無意識にそのような生き方になる。

そんな日本人が覚醒するためには、意識的に押し付けられたものを拒絶することによって、簡単に自分を取り戻すことができるようになる。

人生も、意見も、他人に合わせるのではなく、自分に合わせることができないと、これからの時代は逆に生きていけない。

だから、社会や国やマスコミが仕掛ける流行(トレンド)や世論は、まずは「拒絶」してみて、そこから自分の意見を考えるのが分かりやすい。

覚醒する第一歩となる。



先頭が崖から落ちても次々と従うレミングの自殺。果たしてこれは他人事だろうか。

お願い

ダークネスの本文を他サイト(キュレーションメディア、まとめサイト、個人サイトすべて)へ転載する行為は、いかなる理由があっても固くお断りします。