2015-10-07

検索すればするほど決断力が鈍り、複雑化する世の中で迷う


情報化社会になって重要なのは、インターネットを隅から隅まで検索して情報収集できる技術だとか、大量の情報にいかに集めてくるかのスキルだと思われている。

まだ検索エンジンがそれほど影響力を持っていなかった時代のスキルは、間違いなくそうだった。

インターネットのどこかに大事な情報があったが、それをどうやって見つけるのか、どうやってアクセスするのかは各個人の技能に依存するものだった。

だから、情報収集できる能力だとか、大量の情報を集める技術は重要だったのだ。

しかし、検索エンジンの精度がこれほどまで上がって、スマートフォンでも各アプリケーションが勝手に情報を送ってきてくれるような時代になると、もう情報収集するスキルなど大して重要ではない。

また、大量の情報を収集して、それがメリットになるとも限らないことが分かってきている。

なぜ、大量の情報を集めても有利にならない現象が起きているのかというと、言うまでもなく、インターネットで拡散されている情報が玉石混交でノイズが混じっているからだ。


情報を集めれば集めるほど身動きができなくなる


物事に対する見方が多極的に知ることができるという意味では、確かに大量の情報収集は重要かもしれない。

しかし、いろんな説にいろんな尾ひれがついてそれぞれ微妙に細部が異なるバージョンがばらまかれるわけだから、結局のところ、情報を集めれば集めるほど身動きができなくなる。

普通、真実はひとつしかないはずなのだが、インターネットではあまりにも真実がありすぎて、どれが真実なのか分からなくなってしまうのである。

ノイズが真実を覆い隠す。

そのため、大量情報に接することができるようになればなるほど、逆に迷いが生じ、決断が鈍り、いったん下した決断も貫徹できなくなっていく現象が生まれる。

大量の情報を手に入れれば何でも分かるのではなく、むしろ逆に何もかも分からなくなっていくという理由がここにある。

世の中が大量情報化時代になって、人々はインターネットがなかった時代よりも知的になっているのかと言えば、ほとんどの人は「ノー」と答えるはずだ。

また、たくさんの情報を手に入れられるようになって、物事はシンプルで分かりやすくなったのかと言われれば、これもまたほとんどの人は「ノー」と答えるはずだ。

逆に、あまりの大量情報によって、もはや世の中で何が動いているのか、よけいに理解できなくなっている人の方が多い。人間の処理できる限界を超えて情報が押し寄せて、脳が逆に思考停止してしまうのである。

しかも、真実と共に大量のノイズまでもが襲いかかって来るわけで、そんな中で何かを決断しろと言われても自分がよく知っていること以外は正しい決断が難しい。

世の中の全体を知ることは、事実上「不可能」


情報化時代になればなるほど、世の中は複雑化していく。

科学も、医学も、社会のありかたも、経済のありかたも、すべてが猛烈に細分化されていった。

その結果、ひとりの人間が身の回りで起きているすべてを把握できるほど分かりやすい社会ではなくなっていった。つまり、私たちが世の中の全体を知ることは、事実上「不可能」になっていった。

複雑になっているがゆえに専門家でしか理解できない。そのために、世の中のあらゆるところに「ブラックボックス化」が生まれる。

仮に、それについての情報が与えられても、あまりにも専門的で高度化され過ぎて、自分で何とかする以前に、理解すらできないということになる。

2015年10月6日、ノーベル物理学賞に梶田隆章氏が「ニュートリノ研究」でノーベル物理学賞を受賞している。

しかし、いったいこのニュートリノというのが何を意味していて、なぜ梶田隆章氏の研究がノーベル賞になったのか、その本質が分かる人はほとんどいないはずだ。

「ニュートリノ」は人間社会にとってはほとんど意識する物質ではなく、存在も感じないので、その重要性ですらも判断できないのである。

しかし、こうした発見がいずれ何らかの形で世の中に組み込まれていく可能性もある。そうなったときこの「ニュートリノ」は私たちの大半はブラックボックスと化す。

情報化時代になると、世の中の進歩は加速していくのだが、結局それが社会を信じられないほど複雑にしてしまい、やがて誰もが何が起きているのか理解できなくなってしまう。

重要なのは、今の世の中はすでに、ほとんどすべての部分が「ブラックボックス化」されてしまっているということである。もう充分に複雑化したのである。

複雑になっていく世の中に対するアンチテーゼ


情報化社会になって、たくさんの情報を手に入れられるようになっても、一向に世の中が分からないのは、まさに情報化が複雑さを生み出し、複雑さが人間を惑わすからである。

複雑になればなるほど、物事が予期しないところで結びつき、切り離せなくなり、それがさらに複雑さを増やしていく。そして、どんどん全体像が見えなくなる。

世の中が快適になっていけばいくほど、その快適さを支えるために社会や技術が複雑化し、高度化していく。そして、その足元では「壊れては困るもの」「なくてはならないもの」が異常なまでに増えていくことになる。

それを保守するためにもコストが必要だし、専門知識も必要になっていく。社会が高度化するというのは、そういうことだ。

どこまでもその高度化は続いて行く。しかし、ある瞬間、予期せぬ事態が引き起こされたら、それが発端となって、社会全体が一気に崩壊してしまうというリスクも高まっていく。

複雑なものが壊れやすいというのは誰もが知っている。複雑であればあるほど、繊細な扱いが必要になっていく。

そして、予期せぬ事態が起きる。それがあまりにも複雑だった場合、ブラックボックス化した部分が仇になって、問題が解決できない。

そうなると、高度文明は自壊するしかなくなる。複雑化した社会は、いずれ暴走し、最後に自壊する確率が高まる。

皮肉な話になるが、世の中が情報化社会になって複雑化すればするほど、本当に必要になるのは、大量の情報がなくてもサバイバルできるスキルを持つことだ。

情報化社会になって必要なのは、情報に依存して踊ることではない。必要最小限の情報で生きていけるようにすることだ。

そして、情報化がもたらした複雑化・高度化した社会で生きて行くには、自分の生活をシンプルにすることしかない。

最近、大きな共感と共に広がっている考え方に「ミニマリスト」の生き方がある。複雑になっていく世の中に対するアンチテーゼとして生まれてきたライフスタイルだ。

複雑化していく世の中に対して、自分自身をシンプルにする。それは、複雑化する世の中に対する危機感を無意識に感じる人が増えて来ているという大きな証拠だ。



複雑化していく世の中に対して、自分自身をシンプルにする。それは、複雑化する世の中に対する危機感を無意識に感じる人が増えて来ているという大きな証拠だ。

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