2017-03-11

災害が世界を覆い尽くせば尽くすほど日本が重要になる理由


日本は自然災害が多い国であり、台風、津波、地震、火山噴火と、他国ではあり得ないほどの巨大な災害が集中する国である。そのため、国民も「災害慣れ」している部分もある。

しかし、それでも2011年3月11日に起きた東日本大震災は、日本人に大きな衝撃をもたらした。死者は1万5884人、負傷者は6146人、行方不明者は2633人、そして12万人が現在も避難生活を余儀なくされている。

そして、福島第一原発は今なお封じ込めることができず、半径20キロ圏内は永遠に人間が住むことができない汚染区となってしまった。

自然を愛しているはずの日本人が、永久に汚染された国土を抱えることになるとは誰が想像しただろうか。多くの日本人にとってこの事実は痛恨極まりない打撃であったはずだ。

しかし、残念ながら日本に襲いかかる惨劇はこれで終わりではない。ここにきて地球の活動が活発化しており、世界的に見て自然環境はさらに悪化する。今後も、過去に経験したことがないような災害が次々とやってくる時代になる。

「今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫だ」という経験則が成り立たない時代になる。


災害をうまくやり過ごせるというわけでもない


人は預言者ではないのだから、先のことなど分からない。しかし大災害が来る確率は、今までと違って高まっているというのは事実であり、犠牲になる人たちもどんどん増えていく。

災害は局地的なものであることが多いのだが、その「局地」に自分の住まいがあったり、たまたまそこにいたりすると、すぐに生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれていく。

そのため、日本人は様々な準備をして災害に立ち向かう。

普段から地震が来るかもしれないと考えて意識的に耐震構造の家を建てたり、地震保険をかけたり、地震グッズを揃えたりするのは日本人くらいなものであると言える。

逆に言えば、それくらい日本は地震をはじめとする災害に見舞われやすい土地であるということでもある。

2011年3月11日に起きた巨大地震でも日本では略奪が起きず、パニックも生まれなかったが、地震くらいで国家騒乱に陥っていたら、日本という国は存続できなかっただろう。

それほど、日本人は災害に対して耐性がある。

しかし、東日本大震災を見ても分かる通り、耐性があったとしても災害に巻き込まれないという意味ではない。そして災害をうまくやり過ごせるというわけでもない。

想定を超えるような災害が来ると、日頃から行ってきた準備も吹き飛ばすような事態となり、被災者はすべてを失って途方に暮れる。

それはすべての日本人にとって「他人事」ではない。

私たちはいつでも「自分が被災者になる」という意識がどこかにある。今まで何度も台風を受け、地震を感じ、各地で起きる災害を他のどの民族よりもたくさん見てきている。

自分が巨大な災害に巻き込まれるはずがないと思って生きている日本人はひとりもいないはずだ。

「自分の想定を吹き飛ばすような災害に巻き込まれてしまう」という意識が必ずどこかにある。それが日本人である。

それが「すごいこと」と言われてもピンと来ない


いくら災害に慣れていて、いくら災害に準備していても、すべてを吹き飛ばしてしまうような巨大な災害を一生に一度は経験するのが日本人だ。

そのために、日本人はいざとなったら全員が一致団結してお互いに助け合い、無償の援助をし、支え合う。略奪なんかしない。むしろ、互いに分け合って互いを引き上げる。

「お互い様」というのは、今は自分が助けて上げる身であっても、状況が変われば自分が助けてもらう側になってしまうことを日本人は知っているからこそ生まれた言葉である。

日本人は国難が来れば助け合う。いざとなったとき、自分だけ良ければそれでいい、と思うような日本人はいない。

日本人は困難な状況になればなるほど、助け合いの精神を発揮するような民族性を持っている。困った人がいたら全力で助けに入る。しかも、多くの日本人が自然とそのように振る舞うことができる。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災、あるいは2011年3月11日に起きた東日本大震災で、大災害の中で一致団結して助け合う日本人の姿は全世界を驚嘆させた。

他の誰でもなく、市井の人たちが統制の取れた組織の一員のように助け合いの精神を発揮する。

日本人にとってそんなことは当たり前だから、それが「すごいこと」と言われてもピンと来ない。助け合うのは当たり前であり、それがすごいと言われても日本人には「当たり前のことをして何を騒ぐのか?」という話になる。

しかし、世界は日本のようにならない。災害が来た瞬間、略奪、殺人、暴力の世界となる。(略奪の都市となったハイチ。無法地帯に略奪者が闊歩する

日本は災害が来れば、まず団結する。日本人の強さというのは、そういったところから生まれてきているのである。

そうであるならば、今後世界的に大災害の時代になっていくとき、そんな最悪の状況の中で最も真価を発揮する民族というのは、他の誰でもなく「日本人」であるということが言える。

記録的な災害が世界を覆い尽くすほど、日本人の経験、日本人の生き方、日本人の考え方は重要なものになっていく理由がここにある。

生き残るための方法論は、日本人が持っているのである。

叩きのめされても踏まれても立ち上がる日本人


巨大災害がやってきたとき、それが想定を超えるものであればすべてを失うこともある。ダメージが深いと復旧に相当な時間がかかることもある。

誰でも災害に遭うと悲嘆し、途方に暮れる。それは日本人であっても例外ではない。

今まで営々と築き上げてきたものが無になって、それでも平気でいられる人はひとりもいない。誰もが失意と絶望に打ちひしがれる。

巨大災害で生き残っただけでも幸せであるとは言えども、経済的にも精神的にも失ったものが大きければ、それは人生の終わりを意味すると考えてもおかしくない。

しかし、それでも雑草のように立ち上がるのが日本人の気質である。想像もできないほどの忍耐が備わっていると外国人が恐れる気質がここにある。

日本人は、災害に巻き込まれてどんなにひどい被害に遭っても、できるところから淡々と復旧に向けて動き出す。

被害を受けても、「それで終わり」にしない。状況が収まったら、日本人は復活・復興に向けて淡々と動き出す。

破壊され、めちゃくちゃになっても、翌日からすぐに復活に向けて動き出し、途方もなく巨大な被害であっても、誰もが命令するわけでもなく復興のためにできることをする。

叩きのめされても踏まれても、静かに立ち上がる。そして、いつの間にか何事もなかったかのように復活を果たしている。気が付けば、日本人は復活しているのだ。

世界が日本を恐れているのは、日本にはそうした民族性が備わっていて、それが脈々と受け継がれているからだ。私たち日本人にはそうした民族性が刻まれていて、いざとなったら民族に備わっている力が発揮される。

日本人の凄まじい潜在能力に気付いていないのは、唯一、日本人である。



2011年3月11日に起きた東日本大震災は、日本人に大きな衝撃をもたらした。死者は1万5884人、負傷者は6146人、行方不明者は2633人、そして今なお12万人が避難生活を余儀なくされている。しかし、叩きのめされても踏まれても、日本人は静かに立ち上がる。


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