2015-08-19

現実主義になって脅威に対抗するのが、日本が生き残る道だ


中国は尖閣諸島から沖縄へ、韓国は竹島から対馬へ、日本の領土を虎視眈々と狙っている。中国も韓国も執拗に、日本への侵略を計っている。

日本政府はそれに対してずっと弱腰で対応してきたので、中国・韓国は「日本という国は恫喝すれば言うことを聞く」と考えて、激しい恫喝外交を繰り広げて来た。

中国・韓国、そして北朝鮮を含めた「特定アジア」三カ国は、日本は恫喝すれば欲しいものが手に入ると、日本の弱腰政府の対応を見て気付いたのだ。

歴史のプロパガンダ戦争を仕掛けられたのも、歴代の政府が、それを仕掛けられるたびに謝罪と賠償をするという弱腰に終始してきたからである。

「戦わないのが、この国のあり方」と馬鹿なことを言う文化人や「相手がいいというまで謝るべき」と間抜けなことを言う政治家が、日本全体を覆い尽くしている。

だから、日本は永遠に「謝罪と賠償」を要求され続けている。もうこれは終わりにしなければならないと安倍政権が戦後70年の談話で言ったのは、当然のことだ。日本は「舐められていた」のである。


慈悲や共存と言ったものは、そこにはない


中国や韓国は自分よりも弱いと思った相手は徹底的に叩いてくる。たとえば、チベットも、ウイグルも、ブータンも、中国の拡張主義に飲まれて犠牲になっていき、今も激しく戦っている。

いったん弱みを見せると、とことん侵略される。チベットの悲劇を見ても分かると思うが、中国はチベット仏教を徹底的に破壊し、非暴力を推進しているダライ・ラマを悪魔扱いし、ほとんど民族浄化のような虐殺を行っている。(助けを求めるチベット人の炎の叫びを、私たちは拡散すべきだ

現在もチベットでは拷問が続いており、指の爪の間に竹串を打ち込まれたとか、後頭部を強打されて眼球が突出したとか、そのような話まで伝わってきている。

2015年に入っても、チベットでは抗議による焼身自殺も相変わらず続いている。中国政府の弾圧に抗議して、戦っているのである。(焼身自殺するチベットの僧侶。燃える炎は「憤怒」の象徴だ

しかし中国政府は、チベットの土地も、文化も、宗教も、歴史も、遺産も、すべてを略奪・破壊し尽くす。ウイグルでもまた同じことが起きている。

これを諸外国が非難しようものなら「国内問題に干渉するな」と激しく抗議して妥協がない。

ここでよく考えなければならないのは、その侵略の容赦のなさだ。侵略する側に、慈悲や共存と言ったものはそこにはない。徹底破壊・徹底収奪あるのみである。

このままで行くと、恐らくチベットは助からない。中国が自滅しない限りは民族浄化が続いていくからである。平和主義者が祈っても問題は解決しないのは歴史が教えるところだ。




中国に侵略され、国際世論からも見捨てられたチベット人。もはや残されたのは絶望の焼身自殺だけしかない。

「溺れた犬は叩け」は人間の歴史の基本だった


このように書くと、実に中国人だけが野蛮人のように見えるが、全然そうではない。残念なことだが、「溺れた犬は叩け」は人間の歴史の基本にすらなっている。

アメリカ人がネイティブ・アメリカンを虐殺しまくった歴史もあれば、スペイン人がインカ帝国の末裔たちを皆殺しにした歴史もある。弱い民族は淘汰されてしまうのだ。

人間の歴史は話し合いと友好で築きあげられたものではなく、激しい殺し合いと、闘争で築きあげられた。人間の歴史は戦争で成り立っている。

だから、弱くなれば、領土が侵され、侵略され、周辺国から愚弄され、嘲笑される。人間の歴史は「暴力で作り替えられてきた」のである。それはこれからも変わらない。

ところが、1945年の敗戦から、日本人は世界でも類を見ないような、現実離れした平和主義者が溢れる国になってしまった。信じられないが、「平和を守れ」と言えば平和が実現すると思い込む人がいるのである。

平和過ぎて、「日本が攻められるかもしれない」という想像力すらも喪失してしまったのかもしれない。

これまでは、そんなお花畑の平和主義でもよかった。しかし、周辺国が台頭し、悪意と敵意を持って侵略の意思を見せているとき、お花畑の平和主義者は国を滅ぼす元凶と化す。

もう「戦わないのが、この国のあり方」などと、馬鹿なことを言っているようではいけない時代になってしまったのだ。危険が迫っていることを察知して、防衛力を高めなければならない時代に入っている。

平和主義であれば侵略される危険な世の中になっているのだから、今まで日本人が敢えて切り捨てて来た「防衛」「軍事力」をもう一度見直さなければならなくなっている。

戦わなければならないのである。

軍事的衝突が起きて、日本が巻き込まれる日が来る


世の中は、すでに世の中は暴力の時代に向かって突き進んでいる。暴力は自分が振るうのではない。相手が振るってくるのである。

まさに今、侵略され、領土を犯され、周辺国から脅されるようになっている。だから、軍事力に対して、忌避感を持ってはならない。

場合によっては、東アジアで軍事的衝突が起きて、日本が巻き込まれると考えなければならない。

「暴力なんてとんでもない。野蛮で危険だ!」と叫んだところで、周辺国は仕掛けてくるのであれば巻き込まれる。彼らはゆっくりと確実に、意図的に侵略と略奪をして来る。

そして、いったん物理的な暴力が始まると、暴力には暴力でしか対抗できない。

中国は軍拡に走っているが、軍事の本質は「暴力」だ。暴力の気配が拡大している。そして、その暴力の矛先に日本がある。その意味を、私たちはよく知る必要がある。

実際、東アジアの不穏な空気はどんどん拡大している。その現実が読めるのであれば、日本人は国を守るための軍事力に関心を持たなければならないのは必然である。

1945年に日本人が棄てた軍事力に対する忌避、憎悪に対する忌避を、もう一度、ていねいに拾って自分のものにしていかなければならない。

誰も、暴力に関わりたくない。平和でいたい。しかし、私たちは今、否が応でもお花畑の平和主義を脱ぎ捨てなければならない時代に突入してしまった。

現実主義になって、脅威に対抗する。それが日本が生き残る唯一の道である。



誰も、暴力に関わりたくない。平和でいたい。しかし、私たちは今、否が応でもお花畑の平和主義を脱ぎ捨てなければならない時代に突入してしまった。領土は狙われており、日本は危機の中にある。

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