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2015-07-02

人格破綻者の「差別されている」は何が間違っているのか?


自分の主張ばかりで他人の話をまったく聞かない人間がいたとする。何でもかんでも「自分は正しい、相手は間違っている」と考え、自分の主張だけを大声を張り上げて押し通す。

そういった人間はやがて孤立して、まわりに誰も寄りつかなくなる。そうすると、その人間は孤立に気付いて、今度はこのように叫び出す。

「私は差別されている。傷ついた。謝罪と賠償しろ」

客観的に考えれば、この人は自分の主張ばかり押し通して「話にならない」から避けられたわけである。この人が孤立していったのは「差別された結果」ではない。「軽蔑された結果」なのである。

自業自得なのに「差別だ」と叫んでいる人間に対しては「お前は差別されているのではない。軽蔑されているのだ」ときちんと分からせなければならない。

差別と軽蔑。その違いは、とても大きなものであり、まったく違うものである。


まわりに誰も寄りつかなくなると差別と言い出す


他人を恨んでばかりで、何でもかんでも「恨み」を持って他人を攻撃する人間がいたとする。「恨み」がすべてで、執拗に、粘着的に、そして気が狂ったかのように「お前を恨む、1000年恨む」と叫び通す。

そのような人間はやがて孤立して、まわりに誰も寄りつかなくなる。一緒にいるには危険な人間だからだ。いつ自分が恨まれるか分からないからだ。

人は基本的に危険から逃れようとする。危険を避けるのは差別ではない。本能だ。しかし、避けられた本人は、去っていった人間に向かって、やがて叫び出す。

「私は差別されている。傷ついた。謝罪と賠償しろ」

本人は差別されているのだと思っているのかもしれないが、実は差別されているのではない。それは誤解だ。その人のまわりから人が去るのは、「差別された結果」ではなく「軽蔑された結果」なのである。

世の中には、軽蔑される人間は山ほどいる。不平不満をぶちまけて他人のせいにする人、何かあればすぐに激怒してすべてをぶち壊す人、怨念ばかりを募らせて前に進まない人、感謝という気持ちをまったく持たず、他人のものは自分のものだと考えているような人……。

こうした人間はまわりを戸惑わせ、困らせ、そして自然とその人のまわりから人が去っていく。そうすると、その人間はそれが自分のせいではなく他人のせいだと解釈して「差別されている」と言うのである。

しかし、そうではないのだ。その人は、差別されているのではなく、紛れもなく100%「軽蔑されている」のである。

なぜ軽蔑されているという事実に気付かずに、差別されているというように考えるのか。それは難しい話ではない。

「なぜ軽蔑されるのか?」と分析ができない理由


軽蔑されている人間というのは、本質的に「軽蔑されている」という事実に向かい合うことができない。

軽蔑されているという事実に気付くと、「なぜ軽蔑されるのか?」という分析をしなければならなくなる。そうすると、人格破綻者は自分のゆがんだ性格を見つめなければならない。

客観的に分析すると、こうなったのは自分が悪いということになってしまう。人格破綻者には「自分が悪い」という事実が耐えられないのである。

人格破綻者は、何が何でも自分が悪いのではなく他人が悪いということにしたい。そのために使われるのが「差別されている」という言葉になる。

悪意・憎悪・嫉妬・怨念・不平不満の中で生きていて自業自得で孤立していく性格破綻者は、最終的にその性格ゆえに人生がうまくいかなくなる。

しかし、「差別されているから、こんなことになった」と主張する限り、その人は永久に物事を他人のせいにできる。自分を見つめ直さなくてもいい。

だから、人格破綻者は何十年経ってもそうする。嘘でも捏造でも何でも使って、ひたすら「自分は悪くない。自分は差別された」と激高しながら叫び続ける。嘘でも100回言えば真実になると思っているかのようだ。

こうした態度がますます「軽蔑される」ことになって人を遠ざける結果になるのだが、本人はさらに強く差別されるようになったと解釈する。差別されているというのは事実ではない。事実はこうだ。

「差別されているのではない。軽蔑されているのだ」

本人も心の中でそれが分かっている。しかし、それを認めると人格崩壊を起こしてしまうから認めることができない。

そして、馬鹿のひとつ覚えのように「差別された。どうしてくれるんだ!」と泣きわめき続けるのである。

差別されたのではない。軽蔑されたのだ


情熱的、確信的に嘘を付く人間は「気が狂っている」と思われて避けられる。すると、それを「差別だ」と言い始める。そんなことを繰り返すので、まわりはこの人のことを知れば知るほど嫌いになる。誰も近寄りたくない。

内面は嫉妬と恨みで満ち溢れているのに、外面だけは飾ろうとする。醜い内面を隠蔽し、整形手術で得た仮面の顔のように表面だけはきれいなものにする。

しかし、汚い内面を知った人間は去っていく。いくら表面がきれいでも、中がゴミの山であったら、誰でもそんなところから去りたいと思う。それは、差別でも何でもない。

あるいは、不正をしてもバレなければいいと考えるような人間もいる。それがバレて責められると「差別されている」と言い始める人格破綻者もいる。

もちろん誰も差別していない。ただ単に、「軽蔑」しているだけなのである。

人格破綻者が「差別されている」というのは、自分の人格破綻を覆い隠して、自分のまわりに問題があるかのように見せかけるための手法である。

だから、こうした人間が「差別している」と叫び出すと、「お前の性格に問題があるから軽蔑しているのだ」と、きちんと相手に問題を返さなければ、いつの間にか私たちが悪いことになってしまう。

人格破綻者に関わると、まわりが差別主義者にされていく。これこそが、仕掛けられたワナである。

世の中には、何でもかんでも他人のせいにして「差別された」と言って回る価値観の共有できない異常者がいる。

「お前は差別されているのではない。軽蔑されているのだ」と本人にきちんと分かってもらう必要がある。

本人が理解できる能力がないのであれば、私たちが差別主義者だと誤解されないように、まわりにきちんと状況を説明しておく必要がある。



人は誰でも危険があれば、それを避ける。危険を避けるのは差別ではない。それは単に本能だ。人は誰でも人格破綻者を避ける。それは差別ではない。それは単に軽蔑である。

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