2015-06-24

暴力を振るわれて反撃できなければ、自分の家族も殺される


戦争反対と言っていれば、平和になるわけではない。

この「当たり前」を認識するのは非常に重要だ。戦争は、自分ひとりでするものではない。戦争は「相手」があって始めて起こり得る。

どちらか一方が暴力を行使してでも相手の領土が欲しいと思ったら、別の一方がいくら平和を望んでも平和にならない。

これはDV(ドメスティック・バイオレンス)の現場を考えてみても分かる。

酔っ払いの夫が毎晩酒を飲んで妻に暴力を振るうような家庭は珍しくない。そのとき、妻が平和主義者なら、夫は暴力をふるわないのだろうか。

妻の側が「私は平和を愛しています」と言ったら、酒乱の夫がそれに同調して大人しくなるだろうか。「暴力反対」と妻が言って、それで夫が同調するのであれば、家庭内暴力など世の中に存在しない。


平和とは、お互いが望まないとやって来ない


国と国の関係でもそれは同じだ。侵略の野心を隠さない国があって、その国が虎視眈々と他国を狙っている中では、いくら片方が「平和」を唱えても無駄なのだ。

たとえば日本が平和を望み、それを志向していたとしても、中国や北朝鮮や韓国のような国が、激しく日本を憎悪して侵略や戦争を仕掛けてきたらどうなるのか。

いくら日本が平和を望んでいると言ったところで、無視されるのがオチだ。

平和とは、お互いが望まないとやって来ない。一方が平和を望んで、一方が暴力闘争を望んでいたら、その時点で平和という概念は霧散霧消していく。

たとえば、中国はチベットや新疆ウイグル自治区で少数民族を激しく弾圧している。さらに尖閣諸島や南沙諸島でも領土的野心を隠さなくなっている。

中国は軍事費を増大させ、すでに膨張主義に突き進んで国際問題を引き起こしている。

こんなときに、非暴力主義や無抵抗の姿勢を見せていたら、「弱い」と認識される。抵抗しなければ、じわじわと侵略されて窮地に追いやられていく。

平和主義者は「単なる無抵抗の弱者」と思われ、ますます強引に侵略工作が進んでいく。

中国が軍事費を増大させて暴力的傾向を見せているのだから、まずは「中国に向かって」平和を叫ぶ必要がある。日本政府に向かって平和を守れと叫ぶのではなく、中国に向かってそれを叫ばなければならないのである。

これは、当たり前のことだ。中国は公然と軍事的行動を行って周辺国に懸念を与えているのだから、平和の尊さを思い出さなければならないのは中国の方だ。

もう平和主義になっている日本に平和を唱えても仕方がない。それは、まるで家庭内暴力を受けている妻に「暴力反対」と叫んでいるようなものだ。

暴力を振るっている夫の方にそれを叫ばなければならないのに、暴力の被害者にそれを叫んでも何の意味もない。意味がないどころか、有害ですらある。

中国・韓国・北朝鮮に、憲法九条を叫ぶべきだ


憲法九条は平和憲法であると言われているが、これが素晴らしいと思う人がいるのであれば、中国・韓国・北朝鮮に行って「お前たちは憲法九条を取り入れろ」と叫ぶべきだ。

日本は70年も平和を守ってきた実績がある。そして、日本人は誰ひとりとして戦争をしたいと思ってない。すでに日本人は世界でも類を見ないほどの平和主義者である。

だから憲法九条信者は、チベットやウイグルに暴力を振るっている中国にこそ、この条例を取り入れるように運動を方向転換すべきである。

憲法九条を、習近平に突きつけるのだ。中国大陸に降りたって、中国人民にそれを布教するのだ。チベットに行って、弾圧されているチベットの人たちと共に、中国の兵士たちに憲法九条の大切さを訴えてくればいい。

あるいは、竹島を不法占拠している韓国や、核開発をして周辺国を恫喝している北朝鮮で、「お前たちも憲法九条を取り入れて平和を守れ」と叫ぶのもいい。

憲法九条が素晴らしいと心情的に思い、そのために運動をするのであれば、まずは潜在的に日本に危険をもたらす東アジアの国々に行って、命がけで布教するのが先だ。

憲法九条というのは、敵対する国に守らせる法律である。まわりが軍事費を増大させたり核開発をしたりして凶暴化しているのに、自分だけが憲法九条主義になっても仕方がない。

武力を放棄していいのは、侵略されないという環境にあるときだけだ。侵略される危険性があるのに武力を放棄するというのは、ただの馬鹿である。

戦争が起きれば、暴力を「振るわれる」のだ


日本の平和主義者は「戦争」と聞くと、ややもすれば自分が暴力を「振るう」立場の方をイメージするかもしれない。しかし、それは戦争の一面である。

戦争が起きれば、暴力を「振るわれる」のである。

本土が戦場になれば、町が焼かれ、破壊され、自分が殺され、自分の妻や娘が集団レイプされるような激しい暴力が振るわれる。

戦争の現場の凄惨さは誰もが息を飲む。いったん本土決戦になれば、暴力が容赦なく降り注いできて、そんな凄惨な現場に立たされる。

誰もそんな悲惨な現場に立ちたくない。見たくもない。しかし、戦争を仕掛けられて反撃も何もできなければ、激しい暴力が現場に舞い降りてくる。

自分の住んでいる場所が殺戮の大地になっていく。自分も家族も友人も知り合いも、みんな残虐な暴力の犠牲になる。

暴力は「振るわれる」ものであると想像して欲しい。自分の肉体が破壊され、ズタズタにされると想像して欲しい。自分の家族が皆殺しされるのが戦争だと想像して欲しい。

非暴力や平和主義が「単に弱い存在」と認識され、国に反撃の能力がなければ、平和憲法があろうがなかろうが、そんなことに関係なく暴力で叩き潰されるのである。

現在、日本のまわりには、信用できない国がサメのようにまわりを遊泳して隙あらば襲いかかる態勢になっている。

こんな中で、無防備な平和主義を唱えることは、日本人の殺戮を誘導するものであり、ある意味それは殺人の共犯に近い立場であるということに気付くべきである。

戦争反対と言っていれば、平和になるわけではない。侵略が進む中での平和主義の押しつけは、ワナである。






イラクやシリアでは、人々が住んでいる場所が戦場になっている。日本が国土を守れなければ、いくら日本人が平和主義でも暴力を「振るわれる」のだ。国土を守れなければ、日本がイラク・シリアのような惨状に落ちても不思議ではない。

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