2015-06-10

ハングリー精神を捨てた日本人だが再びそれが必要になった


現在、ニートで溢れる社会を見て信じられないかもしれないが、日本はかつてエコノミック・アニマルと外国から揶揄されるほど猛烈に働く民族だったことで知られている。

1945年に日本全土が灰燼と化して、もはや日本は終わったと世界中の誰もが思った。ところが、日本人はそれから猛烈な勢いで働き始め、国を立て直し、奇跡の高度成長を遂げた。

主要都市のほぼすべてがガレキの山と化した日本だったが、1956年には「もはや戦後ではない」と宣言している。

すべてを破壊された国が、たった10年ほどで「もはや戦後ではない」と言っているのだ。客観的に見ても、それがどれほど凄まじい復興スピードとエネルギーだったのかが分かる。

原爆が投下されて「もはや人間の住む場所ではなくなった」と言われた広島でさえも、苦難から復興していた。

もちろん、社会的に見れば様々な僥倖が日本にあったことも事実だが、その前に何もかも失った日本人が、アグレッシブに働き、ハングリーに仕事をしたというのは事実である。


何でもある時代が、ハングリー精神を喪失させた


ところが、これほどまで高度成長した日本も、1980年代になると徐々に猛烈な仕事ぶりを忌避する若者が増え始めるようになっていった。

1970年代以降に生まれた日本人は、もう生まれたときから「欲しいものが何でもある」ような時代になっていたのだ。がむしゃらにならなくても、「モーレツ」にならなくても、何か欲しいと思ったら親が何でも与えてくれた。

終戦後の混乱した時代を知る親世代は自分が子供時代に欲しいものが何も手に入らなかった悔しさを知っている。せめて自分の子供は、悔しい思いをしないですくすくと素直に育って欲しいと願った。

折しも日本は一億総中流時代に入っており、よほどの贅沢をしなければ子供が欲しいと思うものくらいは買い与えてあげることができるようになっていた。

そして、どうなったのか。世界からエコノミック・アニマルと呼ばれて恐れられたり、呆れられたりしていた日本人の質が明らかに変わっていった。

若者からギラギラとしたハングリー精神がなくなり、耐える力も、継続する力も、感動する力も少しずつ消えていった。こうした日本人の変化に警鐘を鳴らす人も当時から多かったが、この流れは止まることはなかった。

結局、シラケ世代だとか無気力世代だとか言われるような、かつてのエコノミック・アニマルと言われた日本人とは真逆の世代が生まれるようになった。

「必死で努力する」「死にもの狂いで何かに打ち込む」というのは、古い世代の生き方であると否定される場面さえも出てきて、そういった空気が日本を覆い尽くすのようになっていった。「根性」はもう古くなったのだ。それが顕在化したのが1980年代以降だった。

頑張るという教育は受けていないし、必要なかった


日本は1980年代後半にバブルの時代を経験しているが、そのバブルが盛大に吹き飛んだのが1990年からである。ここから日本の経済的衰退が始まったのだが、同時にここから日本人の精神的衰退も目に見えるようになっていた。

親に寄生して、いつまでも自立しようとしない若者も、この頃から発生している。

やがて2000年にもなると、日本企業が構造的に変質して終身雇用を徐々に捨てるようになった。特に、若者を正社員で採用しなくなっていった。

それが、若者の将来設計を破壊して、彼らの一部は親の家に引きこもるようになっていく。自立を自らあきらめ、部屋から出ないで生きるようになっていくのだ。

もともと、彼らは生まれたときから何でもあって、欲しいものは親が与えてくれる環境にあった。何も、無理して頑張る必要はなかった。「頑張る」という教育は受けていないし、そういった社会でもなかった。

だから、社会が構造的変化をしており、再びハングリー精神が必要になる社会が到来したとしても、いきなり生き方を社会に合わせて転換させることなどできない。

時代が急激に変わっても、人間はすぐに対応できない。

すでに格差と貧困の社会がやってきて、津波のように日本人を飲み込んでいる。グローバル化の時代はさらに加速するので、競争は世界規模になり、ますます時代が過酷になることは分かっている。

幸か不幸か親が子供を守る経済力が多少は残っているので、それでハングリー精神のない若者もニートとして生きていけた。

しかし、その親世代も弱肉強食の資本主義でダメージを受けているわけで、ハングリー精神を失った若者たちの防波堤は、あと数年で消え去る。

日本人が再びハングリーさを取り戻す方法がある


どのみち、親はいつまでも子供の面倒を見ることができない。親自身も変転していく社会で経済的に苦境に追いやられるようになっているので、子供の面倒をいつまでも見ることは事実上、不可能となっていく。

日本人は、いよいよ今までの生き方を変える必要が生まれているし、再びハングリー精神を見直す時期に入っているとも言える。

貧困がより拡大して深化していけば、日本人の次の世代は否が応でもハングリー精神を身につける。

生まれながらにして何もなければ必死になる。必死になって手に入れたものは深い感動がある。ハングリー精神が蘇ると、今まで白黒だった世の中がカラーになるような精神的変化が生まれてくるのはよく知られている。

しかし、次の世代にハングリー精神が身についても、自分に身につかなければ自分が生きていけない。ハングリー精神が必要なのは、他人ではなく自分なのである。

さらに過酷になっていく経済的な弱肉強食の時代を生き残るには、かつての日本人が持っていたハングリーさを取り戻さなければならない。

そのために準備できることがある。

それは、今自分の生活の中にある「余計なもの」を極限まで捨てていくことだ。ハングリーになるというのは、欠乏と渇望の環境から自然と生まれてくる。

だから、ハングリーになるためには余計なものをどんどん捨てる必要がある。いらないものに囲まれていると気が散る。それを捨てると、集中力が生まれて来て、それがストイックな精神性を生み出す。

極限まで不必要なものを捨てることによって、欠乏感が生まれ、やがて自分の中にハングリー精神が生まれて来る。

何もないところから、ハングリー精神は生まれる。だから、捨てることによって、「自ら」何もない環境を作り出す。来たるべき時代には、そのハングリー精神が身を助けてくれる。



何もないところから、ハングリー精神は生まれる。だから、捨てることによって、自ら何もない環境を作り出す。来たるべき時代には、そのハングリー精神が身を助けてくれる。

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