2015-02-24

世界を覆う「暴力に対する共鳴」は最後に何をもたらすのか


時代の流れというのは、とても大きなものだ。それは一個人や一政治家や一国が止めようと思っても止まるものではない。

時代はあらゆる人々の声を飲み込み、その時の最も研ぎ澄まされた声が拾い上げられ、そしてその声は「共鳴」しながら拡大していき、大河となっていく。

何が「共鳴」して広がっていくのかは、時代によって違う。

ある時代では「理想」を求める声が共鳴する。ある時代では「革新」を求める声が共鳴する。そして、ある時代では「平和」を求める声が共鳴する。

そして、ある時代では「対立」を求める声に共鳴する人たちが増えていき、それが押しとどめられなくなることもある。ある時代では「暴力」を求める声に共鳴する人たちが増えていき、それが大きな国家方針となることもある。

今は、世界中で「憎悪と暴力に対する共鳴」が広がっていることに気付く人も増えた。その声は局地的なものではない。濃淡はあるが、「暴力に対する共鳴」が深く、広く、伝播しつつある。そんな時代となっている。


世界中に拡散している「暴力への共鳴」


中東では、聖戦を名乗りながら、虐殺、斬首、レイプで地域を大混乱に陥れているISISという狂気集団が、今もまだ戦闘に次ぐ戦闘を繰り広げている。

このISISの持つ激しい憎悪と暴力は主戦場となっているシリア・イラクに収まらない。

今や、リビアにも、イエメンにも、ナイジェリアにも、アフガニスタンにも賛同者が出てきていて、混乱に拍車をかけている。狂気の憎悪と暴力が共鳴し、拡散しているのである。

今後、この流れはイスラム教徒の多いアフリカをも混乱させていく流れもあり、ナイジェリアがボコ・ハラムによって自爆テロ事件が続発し、止まらない。

中央アフリカも、キリスト教徒とイスラム教徒が殺し合って凄惨な状況になっているのだが、あまりにも国際社会の紛争が多すぎて、まるっきり無視されている。

ウクライナでは2014年の過激デモが国家転覆にまで発展し、ユーロ側に付くかロシア側に付くかで国が割れ、もはや国家の体を為していない。ここでも、双方が激しい暴力を行使しており、互いの憎悪と暴力が共鳴し合って拡散しているのだ。

東アジアではまだ戦争が起きていない。しかし、中国と韓国が激しい憎悪を日本に向けており、もうそれを隠すこともなくなっている。憎悪の先に待っているのは、言うまでもなく地域紛争であり、戦争である。

日本人もやっと自分たちの国が「暴力の共鳴」とは無縁ではないことに気付くようになった。そして、日本人もまた中国・韓国に対する警戒心を持つようになり、誰もが両国に対する嫌悪を隠さなくなっている。


ウクライナでは2014年の過激デモが国家転覆にまで発展し、ユーロ側に付くかロシア側に付くかで国が割れ、もはや国家の体を為していない。

現代社会の行き詰まりからくる閉塞感がある


こういった「暴力への共鳴」はそれぞれの国で別々に起きているものなのだ。

しかし、全体としてまとめてみると、現代社会の行き詰まりからくる閉塞感が根底にあって、それが奇妙なまでに一致していることが読み取れるはずだ。

暴走していくグローバル資本主義。そのような社会システムの不満、格差の拡大、政府への不信、異民族に対する憎しみ、衝突、紛争……。

それぞれが密接に絡み合いながら「共鳴」しあっていて、それが暴力を誘発している。

これは現代を覆っている「空気」であり、時代の「雰囲気」であると言ってもいい。一過性のもの、地域的なものではなく、世界全体を覆い尽くす「潮流」なのである。

だから、それは止められない。誰も「憎悪と暴力」の時代など望んでいないはずだが、それは強い感情でシェアされ、拡散しているので、「暴力への共鳴」が止まらなくなっている。

人類は第一次世界大戦が止められず、第二次世界大戦も止められず、アメリカもソ連も冷戦を止められず、冷戦が終わってもアメリカは中東での戦争を止められなかった。

人類の歴史は平和の歴史ではなく、戦争の歴史である。局地的には平和の時代もあるのだが、大きなスパンで見ると必ずどこの国でも戦争の時代がある。

第二次世界大戦以後から現代まで日本が平和の時代であったとすれば、時代が転換するとすれば、次は「戦争の時代」になるということだ。日本が仕掛けなくても、周辺国が仕掛けて来たら同じことだ。

何らかの劇的な転換がない限り、この大きな流れは止まらないと考えるべきだ。硝煙の臭いを、あなたは感じ取らなければならない。

次の世界大戦はありえないことだろうか?


グローバル経済は、うまく回っているときは、その欠陥や問題点は目立たなかった。しかし、2008年9月15日のリーマン・ショックによってグローバル経済は失墜した。

アメリカと各国政府は前人未踏の量的緩和によって社会の基盤となっている金融機関を救済した。

しかし、その資金は税金から出ていたので、最後にワリを食ったのはそれぞれの国の国民だった。社会福祉は国家財政の悪化として表れ、それによって弱い人たちから困窮するようになっていった。

量的緩和によって大手金融機関と株式市場は空前の利益を手にしている陰で、国民が次々と貧困に堕ちている。それが社会に対する激しい閉塞感や不満となって噴き出している。

「社会が自分たちに何もしてくれないのであれば、そんな社会など崩壊してしまえ」と考える人は間違いなく増える。それが、最終的に「暴力への共鳴」に結びついていくのである。

世界中が、このような「暴力に対する共鳴」に巻き込まれていったら、最悪の場合は世界を巻き込んだ戦争に発展することもある。今はまだ局地紛争でしかないものが、全世界を巻き込む大きな戦争となっていく可能性もゼロではない。

次の世界大戦はありえないことだろうか?

2015年は第二次世界大戦後70年目の節目だ。さすがに70年も経つと時代は変わった。

アメリカの政治的権威も、ドル基軸も、グローバル経済も、国家間の関係も、民族関係も、ありとあらゆるものがシステム疲労を起こしている。平和を願うはずの宗教でさえ、最近は過激な暴力の原因になっている。

ならば、ここで考えて欲しい。

世界はこの疲弊した戦後レジームをこれからも継承するのだろうか。それとも破壊(スクラップ)していくのだろうか。果たして、世界を覆う「暴力に対する共鳴」は、どちらを志向しているのか。

あなたの答えが、今後の世の中の動きになる。


世界はこの疲弊した戦後レジームをこれからも継承するのだろうか。それとも破壊(スクラップ)していくのだろうか。果たして、世界を覆う「暴力に対する共鳴」は、どちらを志向しているのか。

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