2015-02-13

友達は重要か。若者たちが極度に恐れているものの正体は?


フェイスブック、ミクシー、ラインと言った「他人とのつながり」を強調するSNS(ソーシャル・ネットワーク)は、ますます一般化している。

中高年以上は「面倒だ」と言えば、そんなものをやっていなくても別に奇異には思われないが、若年層はそんなわけにいかず、自分に関心がなくても「仕方がなく」やることも多い。

誰もが友達が欲しいと思っているわけではない。特に、若者の多くは趣味が多様化しているので、個人主義になる傾向は避けられない。

昔のように、全員が同じ新聞を読んで、全員が同じテレビを見ているような時代ではないのだ。

それなのに、SNSでは「自分にとって趣味も関心も合わず、どちらかと言えばどうでもいい人間」たちと、わざわざ結びついて友達のフリをしなければならない。

それを拒否すると変人だと思われ、さらにSNSをしないと「友達がいない」と思われる。今の若者たちの多くは、「友達がいないと思われる」ことを極度に嫌う傾向がある。


友達がいないと「思われる」ことがマズいと考える


「友達がいようがいまいが、そんなことはどうでもいい」と思っている人は、実はかなりいるのではないだろうか。

しかし、若年層は、本当はそう思っていてもそれを表に出せない。「友達がいない」と思われるのは、致命的であると若者たちは考えるのである。

もちろん、「あの人は友達がいない」と思われるのは、若年層だけではなく、ほとんどの世代で良いように思われないかもしれない。しかし、友達がいないと他人に思われて、蒼白になるようなことはない。

今の若年層の文化では、そうではない。友達がいないと「思われる」ことは致命的なまでにマズいことであると認識されているのだ。

だから、どうでもいいような人間とSNSをしなければならないという義務が発生している。SNSは、若者文化の中では、一種の「強制」なのである。

面白いことに、若者は今の中高年よりもよほど孤独だ。学校や仕事が終われば、さっさとひとりで家に帰って、部屋に籠もって、インターネットを見たり、テレビを見たり、ゲームをしたりしている。

そこに友達が介在する余地はない。孤独こそが彼らのライフスタイルである。

それなのに、「友達とつながる」ためのSNSが彼らには必須のツールと化している。SNSは「友達がいないと思われたくない」ための義理で使うツールなのである。

やりたくてやっているというよりも、「友達がいない」と思われるのが嫌でやっているのだから、気疲れもすれば、心も病んでしまうだろう。無理しているのだ。

それでも、彼らはSNSを止めない。「友達がいない」とレッテルを貼られるのは、それほど彼らには恐怖なのである。

友達がいないことを恐れているのではない


重要なのは、「友達がいない」ことを恐れているのではなく、友達がいないと「思われる」ことの方を恐れていることだ。

本人はひとりの方が気が楽だと思っている。しかし、友達がいないと思われれば、負のレッテルを貼られる。彼らはそれを極度に恐れている。

結局、若者たちが極度に恐れているものの正体は、「周囲の目」であることが分かる。

周囲の目……。

今の若者たちは、現実よりも「周囲の目」の方を恐れ、未だかつてないほどに圧力をかけられている。

それにしても、なぜそんなにも「周囲の目」が彼らを支配するようになっているのだろうか。

若年層の思考パターンをコントロールしているのは、「教育」なのだから、現在の教育が若年層を強く「周囲の目」を意識させるように仕向けていると考えるのは奇異ではないはずだ。

若年層が「周囲の目」を極度なまでに気にするようになった要因は教育の変化にあると分析する人も多い。

AO入試や推薦入学では、「個性・意欲・関心・態度」を面接等で評価するものである。

さらに、学校内では「みんな平等」「みんな仲良く」が是とされており、勉強ができてもぶっきらぼうで周囲から孤立した性格では、教師に評価されなくなっている。

「周囲の目」に敏感でないと、評価されなくなっている。それは今や成績に直結する重要事項である。

「友達がいるフリ」をすることが評価に直結する


教育現場で「個性を評価する」というのは、人に好かれる個性かどうかを見るということだ。教育現場で「態度を評価する」というのは、人に好かれる態度かどうかを見るということだ。

そのいずれも「友達がいるかどうか」に直結する。

それが評価のひとつとなったら、「友達がいない」というのは「見込みのない人間」と断定されることになる。勉強ができても、誰とも交わらず人間嫌いの一匹狼では評価されない。

その結果、今の若者たちは素の自分を隠して「キャラクターを作る」ことが求められるようになっている。それが成功しているのかどうかは、どうやって判定するのか。

それが、「周囲の目」なのである。

「明るく誰からも愛される」「友達がたくさんいる」というのが教師の評価につながるのであれば、誰でも素の自分を偽って、「友達がいるフリ」をするだろう。

その結果、若者たちは異様なまでに「周囲の目」を気にするようになり、素の自分を殺し、自分を隠し、本音を飲み込み、評価されるキャラクターを演じることになる。

友達がいないと思われるのは、キャラクター作りに失敗しているからであり、それは「劣った人間だ」というレッテルになっていく。

頭が良い子ほど、そういった教育現場の空気を敏感に読んで、「友達のたくさんいる良い子」を演じるだろう。

「友達がいようがいまいが、そんなことはどうでもいい」と思っても、そんな本音はおくびにも出さない。いや、出せないようになっている。

「無理して仲良しごっこしなくてもいい」と言える大人はひとりもいなくなった。他人に嫌われようが我が道を行くような一匹狼は、今の日本では生きられないのかもしれない。



「周囲の目」に敏感でないと評価されなくなっている日本の教育。若者は敏感にそれを演じて、みんな仲良しのキャラクターを作る。

お願い

ダークネスTIGAの本文の全文転載は、いかなる理由があってもお断りします。
本文の舞台、参考になる写真がありましたら、提供いただければ嬉しく思います。感想やご意見も、お待ちしております。趣旨に合うものについては、積極的に反映していきたいと考えております。(メールはこちら