2014-12-26

普通の人生を歩みたい学生が、絶対に知ってはいけないこと


教育方針は文部科学省が決めている。その文部科学省は、政治家・官僚・企業経営者等に意見を求めてそれを決める。各界から様々な提言があって、それが吟味されて教育方針に盛り込まれていく。

子供たちが卒業したら、その子供たちを雇うのは企業である。だから、日本経団連のような組織が積極的に「教育方針の提言」を行って、その意見が大きく取り入れられる。

日本の教育方針は、日本人をサラリーマンに仕立てあげる場所であると言われるのは、ここに理由がある。

学生が学校を卒業したあと、まったく企業に合わない人間になっていたら、彼らはたちまち路頭に迷う。

だから、子供たちが卒業したらすぐに企業に入ってサラリーマンとして無難に生きていけるように、学校で規格化されるのである。この規格化を教育と言う。

学校は、どうでもいい細かい規則を守らせて、どうでもいいことを覚えさせて、得意を殺して苦手を伸ばして、全員を平均的な人間に仕立てあげる。それは、なぜなのか。


歯車は、規格化されていないといけない


日本の教育は、子供たちを可もなく、不可もないような平均的な人間にする。没個性を強制し、「みんな同じ」にしてしまう。それは、子供たちが平均的な人間であれば、企業の「歯車」として組み込みやすいからだ。

子供たちの個性が爆発したまま卒業してしまうと、企業はその子供たちを「歯車」として組み込めない。歯車は個性的であってはならない。規格化されていないといけないのである。

だから、日本の学校はみんな平均的な範囲で収まるように子供たちを矯正し、没個性にする。

こういった教育方針によく馴染む子供もいれば、そうでない子供もいる。それが学歴の差となって現れる。

学歴は、教育方針に従順だったかそうでなかったかで差が生まれる。先生に言われた通り、あるいは教育方針の通り、何の疑いもなく直進してきた子供は優秀になる。

自分の好き嫌いを優先させ、教師や教育方針に反撥してきた子供は落ちこぼれて「不良」になる。

日本の教育が、日本人をサラリーマンの歯車にするためのものであると分かれば、「不良」というのは、サラリーマンにするには「不良品」であるという意味であることが分かる。

子供たちが教育方針に従順だったかどうかは、学歴を見れば分かるので、企業はその学歴の差で「一流企業に行く人間」「中小企業に行く人間」「見捨てる人間」とふるいにかける。

世の中はそのような仕組みになっている。だから、日本の教育方針に馴染まない子供は、大人になってサラリーマンになっても大して出世もしないし、金を稼ぐこともできない。

子供のときに教育方針に馴染めたかどうかで、日本人の人生はだいたい決まっていると言ってもいい。

「学歴社会」は、企業が作り上げた人間の規格化


経団連のような企業団体が教育制度を提言し、文部科学省がそれに従い、学校が方針にそって子供たちを規格化する。

「学歴社会」というのは、企業が作り上げた人間の規格化であると気付いている人はあまりいないかもしれない。しかし、それは覚えておいた方がいい。

規格化された製品(子供たち)の品質の良し悪しを、企業は「学歴」で見る。一流企業は品質の良い製品(子供たち)を取って、あとは順次、適当に企業レベルに合った人間を学歴で区分けしていく。

もちろん、不良品は弾く。学校の教育方針に馴染めなかった子供は、サラリーマンにしても馴染めないのは分かりきっているので、そんな人間は最初から雇わない。

つまり、学歴のない人間は最初から雇わない。企業が「自分たちの決めたルールに従えないような子供は、一生雇わない」というのが学歴社会なのである。

学校は何かを覚えるだけにある場所ではない。企業が子供たちを選別するためにある場所だ。

企業が子供たちを選別する場所なのだから、企業にとって都合の悪いことは学校では教えない。社会に出て、多くの学生はこのように思う。

「社会の仕組みを教えてもらえなかった」
「起業の方法を教えてもらえなかった」
「世渡りの方法を教えてもらえなかった」
「自分らしく生きる方法を教えてもらえなかった」

しかし、「なぜ」教えてくれなかったのかと考える学生はほとんどいないはずだ。なぜ、学校はある意味「一番重要なこと」を学生に教えないのか……。

企業の「歯車」になる人間は、知る必要がない


企業の「歯車」になる人間には、社会の仕組みなど知る必要はない。起業の方法など覚える必要はない。世渡りなど知る必要はない。自分らしく生きる方法も知る必要はない。

企業の「歯車」になる人間には、そんなものは何ひとつ必要ないのである。歯車は考える必要はない。言われた通り、黙々と奴隷のように働けばいい。

多くのサラリーマンは自分の置かれている状況に途中で気付き、そして自嘲して「自分たちは社畜だ」と言う。

学校は、子供たちを社畜にするための教育場所だったのだ。だから、社会の仕組みも、起業も、世渡りも、そんなことは教えない。教えないどころか、気付かないようにすらしている。

絶対に、現在の教育方針が「自分を社畜にするもの」と気付かせない。

しかし、学校を卒業して、企業の歯車にされていく中で、どんな愚鈍な人であってもふと「なぜ、自分は企業の歯車になっているのだ? なぜ、自分は社畜にされているのだ?」と気付く日がやって来る。

気付いたときにはもう遅い。ずっと続けてきた社畜を辞めるには手遅れなほど長い時間をそこに費やしてきたし、それで生計を立てているのであれば、おいそれと辞められない。

ふと、社畜になっていることに気付いた人はどうするのか。

もちろん、考えるのを止める。自分が社畜であることを忘れさせてくれるものに飛びつく。何があるのか……。

目の前に、テレビがあるではないか。

テレビは、四六時中くだらない番組を報道して、人間を考えさせないようにしている。かつての「セックス、スクリーン、スポーツ」は、今は「ポルノ、テレビ、ゲーム」と言い替えた方が通じるかもしれない。

もがいている人間ほど、娯楽が必要になる

「ポルノ、テレビ、ゲーム」は、ひとことで言えば「娯楽」と称される。

社畜に陥った人間であればあるほど、自分たちの今の状況を忘れるために、ポルノやテレビやゲームと言った「娯楽」が必要になっていく。

社会のワナに気づいた人間や、それを忘れるためにもがいている人間ほど「娯楽」が必要になる。それなしには生きていけなくなる。だから、社畜の多くは「娯楽」の中毒である。

逆に、経団連のようなエスタブリッシュメントは、逆にそれを大量に蔓延させて、「社畜」に自分たちの置かれている立場を考えさせないようにしているとも言える。

(1)子供を学校で企業の歯車となるように作り上げる。
(2)卒業したら企業に組み入れて実際に歯車にする。
(3)社畜の状況を忘れさせるために娯楽を与える。

このようにして、エスタブリッシュメントは、大量の考えない人間を大量に手に入れて、どんどん「使い捨て」にすることができるようになった。

自分が「考えていない」ことすら気付かない人たちの大量出現は、エスタブリッシュメントがそうなるように社会を作っているからだ。それは、なるべくしてそうなったのである。

組み込まれた人は気付いていけない。それに気がついてしまった人間は、鬱病となって精神を病むからだ。

精神を病んでしまった人を見て、規格化された人はますます恐怖におののき、「考えない」ようにする。テレビは低脳であればあるほどいい。低脳になれば、自分の置かれた状況も考えられないので、結果的に幸せになる。

学生は、これに気付かない方がいいのかもしれない。普通の人生を歩みたい学生がこんなことを知れば、生き方に迷って気が狂ってしまうからだ。


歯車は何も考えなくてもいい。ただ回っていればいいのだ。

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