2014-12-23

厚かましく恥を知らない政治家に学ぶべきたった1つのこと


子供たちのいじめは今や現実社会だけでなく、インターネットでも繰り広げられていて、それを苦にして自殺する子供も1人や2人ではない。

岩手県でも2014年5月31日に、自宅近くで首を吊って死んでいるのが発見されたが、彼はまだ13歳だった。遺書は残っていないが、インターネットでずっと中傷され続けていて、それを苦にしていたという。

2014年7月4日、青森県八戸市の女子高生がやはり自殺しているのだが、彼女は17歳だった。遺書は残っていないが、やはりインターネットで中傷され続けて、それを苦にしていた。

中傷していた生徒たちは「いじめとは認識していない」と言っているようだが、死の責任を負わされそうになったら、誰でもそう言うだろう。

そして、2014年8月17日、熊本県でも16歳の女子高生が自宅で首を吊って自殺しているのだが、彼女もまたインターネットで中傷されていた。


インターネットは、今や地獄のような存在に


インターネットは、今や一部の人間だけのものではない。大人だけでなく、子供たちも日常的にアクセスする場所になっており、それに比例してネットいじめも増え続ける一方となっている。

文部科学省が取りまとめた「ネットいじめ」の認知件数は2007年は5899件だったが、これが2012年には7855件、2013年には8787件と、どんどん増えている。

しかも、これは氷山の一角であり、実際には誰にも言えずに苦しんでいる子供たちが山ほど隠れていると言われている。いじめは、その多くが誰にも相談できないと言われている。

なぜなら、いじめは自分を「ひどい言葉」で中傷しているわけで、その言葉自体が本人を傷つけ、そう言われているということを他人に言えないからだ。

自分の失敗、自分の劣等感、自分の弱点が、一番ひどい言葉で突きつけられているのだ。他人に相談するとき、それを他人に伝えられないほど、本人にとってはそれが恥辱なのだ。

だから、いじめられている子供たちの多くは、ひとりで抱え込み、そして精神的に追い詰められ、時には心が折れて死を考えてしまう。

中学校や高校生の自殺は、その半数が「原因不明」だと言われている。その理由は「死の契機になった理由を他人に明かせないほど、本人を追い詰めた言葉があったのではないか」と推測されている。

昔は誹謗中傷を受けても「その場限り」の話だったが、今ではインターネットで言葉としてずっと残っていく。一方的にいじめを受けている場面が「記録」され、その気になれば誰もがそれを見ることができる。

苦痛が執拗に続き、大多数に知られ、昔とは考えられないほど追い込まれる。インターネットは、今や一部の子供たちにとって地獄と化しているのである。

誹謗中傷は、もう誰もが他人事ではない


大人も他人事ではない。インターネットによる誹謗中傷は、もう誰もが他人事ではないのだ。誰もが激しい誹謗中傷の的になり、一瞬にして嵐のような中傷の対象になっていく。

かつて、誹謗中傷と言えば有名人に限られていた。そんな牧歌的な時代もあった。

しかし、インターネットにつながることが当たり前になり、さらにSNSで誰もが気軽には発言できる環境が整った今、もう誹謗中書の対象は有名人だけに限らなくなっていった。

どんな小さくて狭い世界でも、その世界の中で激しい誹謗中傷が飛び交う。またその誹謗中傷は、国をまたがって、人種間で、国家間で、宗教間で、互いに互いを激しく罵り合うようになっている。

インターネットは人間と人間を結びつける場でもあるが、一方で人間を徹底攻撃する場にもなっているのである。

今まで、こうした誹謗中傷を減らすために様々な方策が考えられてきた。

たとえば、フェイスブックの実名主義も、「実名にすれば他人を激しく攻撃する人間はいなくなるはずだ」という楽観主義も最初はあった。

しかし、無駄だった。誹謗中傷は消えるのではなく、むしろ実名が出たことによって、明確な攻撃対象となって拡大していっている。

今後、スマートフォンからウェアラブルの時代になって、さらにインターネットの接続は一般化する。そして、誰もが攻撃を受ける時代となる。

宗教、思想、人種、国籍、年齢、性別、名前……。ありとあらゆる自分の属性が、これからは執拗に、粘着的に攻撃されていく。そして、そこから逃れる方法は見当たらない。

誰もがそれに巻き込まれ、そこから逃れられない


誰もが、いずれ誹謗と中傷にまみれる。場合によっては、一生、批判から逃れられない運命となる。消したくとも消せないものがずっと自分に付きまとう。

誹謗中傷には尾ひれが付き、正しい事実ではないことですらも、あたかも真実のように語られて、それで攻撃され続けるような理不尽なことすらも起きる。

誰もがそれに巻き込まれ、誰もがそこから逃れられないとしたら、私たちはどうすればいいのだろうか。

もちろん、その対処についてはそれぞれ方法論があるのだろうが、その前に重要なことがある。

それは、絶対に誹謗中傷を受けるものだと理解して、どんなことがあっても、それによって心が折れないように決意することだ。それは簡単なことではないが、これからの時代を生き抜くには、必要なスキルでもある。

どんな誹謗中傷にまみれ、恥辱にさらされても、日常生活をきちんと続けることができるようにすべきなのである。

ところで、日夜あることないことで数千万人、ときには数億人に憎悪の対象になっても普通に生きている人たちがいる。それは、「政治家」と呼ばれる人たちだ。

厚かましく恥を知らない人間たちの集団が政治家だと言われているが、彼らに学ぶことがあるとしたら、まさにその部分だけかもしれない。

彼らは、想像を絶するような誹謗中傷が当たり前なのだが、まったく堪えていない。どんなことを言われても、まったく気にもしていない。

政治家に対して見習うことがあるとしたら、まさにその部分である。厚かましく恥を知らない政治家に学ぶべきたった1つのことだ。

死ぬくらいなら、政治家の厚顔無恥の方がまだ救いがある。


吉田茂。今でこそ名宰相と呼ばれているが、現役時代は罵詈雑言の嵐だった。

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