2014-11-01

子供用コンテンツの世界観が、現実を生きる上での足かせに


子供に「子供向け」のものばかり与えていると、子供は精神的にも成長することができない。

たとえば、子供向けのテレビやアニメ番組は、正義の味方やヒーローが出てきて、超人的な力で悪をバタバタなぎたおすのが定番になっている。しかし、現実はそうではない。誰も超人的な力など持っていない。

現実では、往々にして悪人がのさばり、善人が打ちのめされている。正義の味方など、どこからもやって来ない。あちこちからやって来るのは詐欺師だけだ。

優しい、気の良い人間が報われるわけではない。悪人が懲罰されるわけでもない。その逆に、悪人がちやほやされ、善人が嘲笑される。

努力も必ずしも報われるわけではない。親から財産や人脈を世襲した人間が楽して頂点に立ち、何も持たない人間は底辺でもがいて苦しむのが一般的な姿だ。

悪いことをしたら捕まるどころか、金持ちになることすらもある。子供用コンテンツの真逆の世界が現実世界で展開されているのである。


そこから抜け出せなくなってしまうと問題になる


こういった現実の姿は、子供用コンテンツでは表現されることはない。正義の味方が勝ち、主人公が決して傷つかないのは、子供の世界の「夢うつつ」であると言える。

もちろん、そうは言っても、子供用コンテンツが無用であると言っているわけではない。

「正しいことをしなければならない」「優しさや助け合いや正義は重要である」ということを学ぶには、むしろ、これほど良い教材はない。

子供用コンテンツに、悪人が正義を駆逐するような番組があれば、それは恐ろしい。そんなものは「子供に相応しくない」ことになる。

しかし、こういった子供向けコンテンツに染まりきって、そこから抜け出せなくなってしまうと問題になる。身体に良い食べ物でも、食べ過ぎると有害になるのと同じだ。

子供用コンテンツも、その世界に染まりすぎると、現実に直面できなくなってしまう。ピュアな世界から抜け出せず、薄汚い現実にアレルギー反応が起きる。

現実社会に出ると、誰もが自分が無力であることを思い知らされる。子供用コンテンツの主人公のように、自分が超人的な力でもって物事を次々と解決するような都合の良い話にはならない。

自分の人生では自分が主人公なはずだったのに、現実に出ると、自分が誰かに隷属しなければ生きていけないことに嫌でも気付く。自分の無力さを思い知らされる。

人生は子供用コンテンツのように楽しくない。次から次へと、自分の思う通りにならない問題が発生して、そのつど妥協をしなければならなくなる。

単純な世界観のままでは、現実に太刀打ちできない


子供用コンテンツの単純な世界観のままでは、現実に太刀打ちできないのだ。正義の味方も、愛の化身も、「狡猾な大人」にいいように利用され、叩きのめされてしまうのである。

子供用コンテンツが口当たりが良すぎるので、現実の苦々しさには拒絶反応しか生まれない。そして、現実が受け入れられなくなる若者も生まれて来る。

そうなると、現実から引きこもり、社会から自分を隔絶して、家の中で安心な子供用コンテンツに浸るしかなくなる。現実に対応できなくないから、余計にそれに没頭してしまう。

子供用コンテンツは、それ自体に問題があるわけではない。子供たちには「良いもの」でもある。しかし、それは「子供用」なので、いつかは決別しなければならない。

決別できなければ、いつまで経っても精神が大人になることができない。「身体は大人になっても、精神性が子供のまま」で成長できなくなってしまう。

日本ではニートと呼ばれる「若年無業者」は63万人もいる。ちょっとしたアルバイトやパートの仕事しかしていない若年層は180万人いる。

社会が若年層の使い捨てを志向しているのも確かだが、現実に対応できず、自ら家に引きこもってしまう若者もいる。

現実社会に出て、泥まみれになってもがき、まったく思う通りにならない人生の挫折を受け入れながら、なおも生きていくのが「大人の世界」だが、自ら脱落するのである。

そして、ニート化した若者の多くが、引きこもった部屋の中で「子供用コンテンツに浸っている」とされている。本来は、卒業しなければならない子供用コンテンツから卒業できないまま、身体だけが大人になってしまったのだ。

現実を生きる上で真っ先にすべきこと


世の中は子供用コンテンツとはまったく違う残酷なルールで成り立っている。それは、本来であれば子供のうちから知っておかなければならない常識である。

子供の頃から外に出て、社会でいろんな人と交流し、いろんな世界をあらかじめ知っている子供だけが、いざ社会に出ても現実に対応できる。

逆に言えば、子供の頃から社会に接していなければ、社会に出たときに対応できない。当たり前だと言えば当たり前のことでもある。

子供の頃から、額に汗して働く大人の背中を見つめ、どうにもならないことで戸惑う大人の姿を発見し、いろんな大人がいることを知り、誰もが生きることに苦労している姿を見ていれば、子供でも子供用コンテンツが子供っぽく見える。

逆に、そういった社会的体験がまったくないまま大人になると、どんなに「いい年」になっても、精神的な幼児性が抜けきれずに子供用コンテンツにしか行き場がない。

社会情勢が悪化し、日本を取り巻く現状が厳しいものになっていき、国際社会でも激しい軋轢が生み出されている。

つまり、日本人はひとりでも多く「温室」から抜け出して、大人になって現実に対応していかなければならない。日本人は今までよりも早めに子供用コンテンツから脱しなければならない時代になっている。

人間は超人的な力はなく、正義は負け、声の大きな悪人が勝ち、悪が征伐されず、多くの人たちの夢は挫折し、生きるのは楽なことではない。

そんな現実に乗り出すには、真っ先にしなければならないのが、子供用コンテンツの「夢みたいな世界観」を一刻も早く捨て去って、現実の方に自分を最適化させるということである。

私たちは超人的なヒーローではないし、何でも便利なものをポケットから出してくれる都合の良い何かが隣にいるわけではない。それは子供の世界だ。

しかし、私たちのポケットから金を奪っていく悪人ならどこにでもいる。これは、現実の世界だ。


誰もが生きていくのに精一杯だ。それが「現実」に生きるということだ。子供用コンテンツの世界観のように、現実は口当たりが良くない。

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