2014-06-06

サラリーマンという職業は、もう安定には程遠い職業である


日本人がグローバル化を意識するようになったのは、会社がグローバル化の波に巻き込まれていったからだ。

では、会社はどのようにグローバル化の波に巻き込まれていったのか。

まず、世界中が安い製品を欲しがるようになり、日本企業も否応なしに海外の「安価な製品」と戦わなければならないようになった。

安価な製品を作るためには、人件費の安い海外の労働者を使う必要が出てきて、生産拠点を「海外」に作るようになった。

さらにグローバル化が加速していくと、日本人の社員を高賃金で雇っておくことも難しくなった。そこで、日本人を非正規労働に置き換えたり、雇わなくなったりし始めた。

それでも、グローバル競争は止まらず、やがて高コスト体質の日本企業は世界と戦えなくなって、どんどんリストラが始まるようになった。

日本人がグローバル化を意識するようになったのは、日本の会社がグローバル化によって叩きのめされ、自分の首が絞まるようになっていったからである。


高コストの正社員を抱えすぎという実態


こうなるというのは、もう20年も前からずっと言われ続けていたことだ。誰もが、もうサラリーマンという職業は成り立たないというのを「知っていた」のだ。

日本企業は今でも高コスト体質であるのは、企業のROA(総資産利益率)やROE(株主資本利益率)を見れば、異様に低い水準であることからも分かる。

日本の株式市場がいつも取り残されるのは、別に世界が日本を嫌っているわけではなく、日本企業に投資しようと思っても、あまりにROE(株主資本利益率)が低すぎて、話にならないからでもある。

日本企業は、もっと利益率を上げろと言われ続けてきて、それができなかった。コスト改善をしなければならないという命題を突きつけられて、まだ、それに応えられていない。

そんな未熟な経営者ばかりだから、日本の株式市場は見捨てられてしまっているのだ。

なぜ、日本の会社の利益率が低いのかというと、それが「高コストの正社員を抱えすぎだ」という話につながっていく。中国で6万円程度で働いている一流大学卒の人間と、日本で24万円で働いている普通の人間とでは、それだけで4倍の差になる。

グローバル社会の中で日本企業が生き残るためには、超特大ヒット製品を出すか、社員の給料をもっと劇的に下げるか、社員を極限まで削るかしかない。

超特大ヒットなど、この激甚化した競争社会でそうそう出せるものではないし、出してもすぐに真似されるので、最後に行き着くのは、社員の給料下げか、リストラなのだ。

つまり、サラリーマンという職業は、もう安定には程遠い職業になっているのである。

「会社は社員のもの」だと言う無邪気な人


今後、今のサラリーマンの多くは、使い捨ての「労働者」になる。労働者だから、出世もなく、年功序列もなく、福利厚生も、生活保障もない。

未だにサラリーマンでいることにこだわる人もいるようだが、もう無駄だ。サラリーマンという働き方に、未来を託すような要素はどこにもない。

正社員も勝ち組ではない。給料も減らされる。使い物にならなくなると、リストラの対象になる。

「会社は社員のものか、株主のものか」という議論があったとき、日本では「会社は社員のもの」だと言う無邪気な人が多かった。

しかし、それが完全に間違いであることは、やっと誰もが気付いたようだ。サラリーマンが単なる使い捨ての労働者になりつつある今、誰が「会社は社員のもの」と言えるのだろう。

現実を見ると、会社は明確に「株主のもの」である。

株主が資金を出して会社を存続させている。株主が経営者に投資のリターン(利益)を生むように依頼し、経営者はそれに応えるために社員を雇い、社員は言われた通りに働く。

この一連の流れの中で、なぜ「会社は社員のもの」という発想が出てくるのか分からない。

今まで日本人は終身雇用が保障されていたので、勘違いしてしまった部分もあったのだろう。

しかし、終身雇用どころか、リストラが当たり前になった時代では、もう長く働いた正社員でさえ「会社は社員のもの」と無邪気に思わなくなっている。

やっと、サラリーマンは自分の立場に目が覚めたと言うことができる。

会社は誰のものか。社員のものではない。株主のものだ。

会社という枯れた花に水をやっても成長しない


グローバル化がこれからも進んで行くということは、ますます日本人の労働環境は不安定化していくということである。終身雇用、年功序列というシステムは死んだ。

代わりに取り入れられた能力主義というのは何か。それは、能力をある人間を抜擢するという目的ではない。能力のない人間をクビにするというのが本当の目的である。

会社は要らない人間をクビにしたいと思っている。そこに能力主義が取り入れられたというのは、要するに要らない人間を捨てる理由付けにするためだ。

今後は、残業代ゼロも当たり前になっていき、拒絶すると「能力ゼロ」と見なされるようにもなるかもしれない。死ぬほど働いても、売上に結びつかないと、やはり「能力ゼロ」とみなされるかもしれない。

成果が出たらどうなのか。それでも、他にもっと成果を出した人間がいると、やはり「能力ゼロ」と言われるだろう。つまり、会社がその気になったら、誰が何をやっても能力ゼロになる。

サラリーマンで生きるべき時代は、もうとっくの昔に終わっている。

資格を取ろうが、残業しようが、ゴマをすろうが、そんなものは何の慰めにもならない。会社という枯れた花に水をやっても成長しない。

日本人の8割はサラリーマンなのだから、日本人の8割は今後の身の振り方を考える必要がある。自分はどのように生きるのか、必死で模索しなければならない。

人それぞれ何が向いているのかは自分で捜さなければならないのだから、それを他人に聞いても無駄だ。自分の人生を、自分で切り拓く時が来ている。

枯れた花に水をやっても、それはもう成長しない。


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