2013-08-01

なぜ「正義の味方」は、暴力と破壊を生み出す元になるのか?


「正義を強調すればするほど、世の中は悪くなる」と言えば、驚く人もいるかもしれない。しかし、それは事実だ。

もし、あなたがそれを知らなかったとしても別に驚く必要もない。なぜなら、それはわざと気が付かないように教育されて来たからである。

子供の頃から「正義のために悪を滅ぼす」ことを強調する馬鹿げた漫画やドラマや映画を見てこなかっただろうか? 今もそんなものを見ているのではないだろうか?

これは、子供に「正義のために悪を滅ぼすのは徹底的に正しい」という刷り込みを行うものでもある。子供の頃から、そんな刷り込みがなされている。

テレビが為政者の都合の良いものを垂れ流しして国民を洗脳しているのはよく知られている。

日本だけではない。アメリカでは特に、正義のヒーローが崇拝されていている。なぜ、政府は「正義のために悪を滅ぼす」ようなワンパターンを延々と国民に見せているのか。


暴力が正当化され、暴力が崇高なものになっていく


政府が国民に「正義のために悪を滅ぼす」ようなストーリーを崇拝させているのは、裏の意味がある。政府は、いずれ国民に「国のために戦わせる」必要があるからだ。

そのためには、国民が「正義のために悪を滅ぼす」という行動や思考に慣れていなければならない。国が「正義のために」と言えば、国民は無意識に「悪を滅ぼす」と条件反射で思うようにしておかなければならないのである。

それが完成すれば、国は「正義」を強調するだけで、国民を無意識に暴力に駆り立てることが可能になる。それを徹底的に行っているのが、アメリカであると言える。

正義を強調すると必然的に二元論に行き着く。

つまり、「正義の側」と「正義ではない側」とに二分する。水と油のように、それはくっきりと別れ、違う世界になる。

二元論に陥ると、どうなるのか。相手を受け入れる余地が、完全になくなってしまうのだ。相手は悪なので「滅ぼす対象」となるのである。

自分が正義の側に立っていると思うと、必然的に相手は「正義でない側=悪」というシンプルな構図に行き着く。

自分が正義だと強調すればするほど、対立する相手が完全なる悪になってしまう。

(1)私は正義だ。
(2)私と敵対する相手は悪だ。
(3)悪は倒さなければならない。
(4)相手を滅ぼすのは正当な行為だ。

自分が正義の側にあると思えば思い込むほど、正義のために相手を破壊しようという動機(モチベーション)が上がっていく。

暴力が正当化され、暴力が崇高なものになっていく。あるいは、相手(悪)を破壊することが、使命感溢れる行為へと祭り上げられる。

現場では残虐な殺戮行為が起きているのだが、それが思想的には正しいものへとなっていくのである。


正義を強調することによって、暴力が崇高なものになっていく。

このような二元論を好むのがアメリカという国


このような二元論を好むのがアメリカという国である。アメリカは自らを正義だと主張し、そして自分たちに挑戦してくる国を「正義に挑戦してくる国」だと見なす。

正義に挑戦してくる国というのは、当然「正義ではない国」という二元論が働くので、「敵対国は悪だ」という思想になる。

食い詰めたイギリス人(白人)がアメリカ大陸に渡ったとき、その大陸にはすでにネイティブ・アメリカン(先住民)たちが住んでいてひとつの文化を築きあげてきた。

しかし、白人たちは彼らが野蛮人であり、このような野蛮人を駆逐するのは正義だと思い込んだ。

つまり、自分たちのほうに正義があり、あちらは正義ではないという二元論に囚われた。

そこで何が起きたのか。

白人による先住民の大虐殺である。自分たちは正義であり、正義を脅かす先住民は「悪の権化」であり、それは徹底的に駆逐されなければならないと考えたのである。

正義の名のもとに大量虐殺が起きて、それが正当化された。

アメリカはこの二元論を第二次世界大戦にも応用して、自分たちは正義の側にあり、日本は「悪の権化」であると徹底的な刷り込みを国民に行なって、「正義と悪」の戦いに昇華させていった。

真珠湾攻撃はアメリカが日本を追い込んで「行わせた」という歴史が明るみになって来ているが、それは日本を「悪」にして、自分たちを「悪を懲罰する国=正義の国」という大義名分に必要なことだったのだ。

日本を壊滅させるのは正義であり、原発二発を落とすのもまさに正義の行使だったのである。

ソ連との冷戦もまたそうだった。アメリカ国内では資本主義が「正義」であり「正当」であり「正しいもの」だったので、それに挑戦してくる共産主義は「悪」であり、「悪魔」であり、「邪悪なもの」だった。

そして、悪と対抗するために、核爆弾を作って作って作りまくって世界を何回も破滅させることができるまでにそれを備蓄した。世界を破壊する兵器は「正義のため」に作られた。

そのとき、アジアでは共産主義が浸透し始めていたが、アジアを共産主義から守るのは「正義」だったので、アメリカは共産主義=悪からアジアを守るという名目でベトナムに介入した。

アメリカはベトナムに上陸して、傀儡政権を打ちたて、北部を絨毯爆撃し、ナパーム弾で森を焼き、農地を焼き、人を焼き殺し、枯葉剤をばら撒いてベトナム女性が産む子供を奇形児だらけにしたが、それは何のためだったのか。

すべては、正義のためだったのである。

戦争にもルールがあったはずだ。たとえば、非戦闘員を殺してはいけない、捕虜を殺してはいけないというルールである。

アメリカは原子爆弾で日本の非戦闘員を焼き殺し、ベトナムでナパーム弾や枯葉剤をばら撒いてルール無視の戦闘を行なってきた。

正義の名のもとに、それが行われた。


ベトナムが絨毯爆撃されたのも、正義のためだった。

正義とは胡散臭いものであり、一方的なもの


やがてその正義はさらに暴走していく。アメリカは2001年以降にイスラム国家のいくつかを「悪の枢軸国」と吐き捨てて、イラクが大量破壊兵器を持っていないというのに戦争に突入していくのである。

イラクは大量破壊兵器を持っていなかったが、アメリカは大量破壊兵器を持っていた。

レイセオン社の製造したパトリオット・ミサイル(愛国者爆弾)はイラク国民の土地で炸裂して非戦闘員であるはずの女性や子供たちが次々と死んでいった。

無人機爆撃、劣化ウラン弾、バンカーバスター。イラクではあらゆる大量殺戮兵器が投入されて、今や累計で100万人もの人たちが死んだとされている。

正義を強調すればするほど相手が悪になる。そして、そこから悪を倒せという暴力が生まれる。正義が暴力を産み出す。

だから、逆説的な話になるが、正義を強調しないほうが余計な暴力を産み出さないという言い方もできる。

正義を強調する人、正義というものが頭にある人は、自分や自分の属している社会を正義と見なし、それ以外を悪と見なす二元論に囚われる。

「どちらが正義か?」という問いは、どちらの立場に自分が立つかによって違ってくる。立場が違うと、それが正義にもなるし、悪にもなる。

すべては立場の問題だ。


イラク戦争は、アメリカは正義でイラクは悪だという論理で行われた。

正義という言葉は悪用されやすく、人々は騙されやすい


アメリカ人は先住民を大虐殺しても野蛮人を殺すのが正義だったと胸を張っている。日本に原爆を落として女性や子供を虐殺しても正義だと胸を張っている。

イスラエル人はパレスチナ人を大虐殺しても、パレスチナ人はテロリストだから自分たちに正義があると主張して胸を張っている。

パレスチナ人は自分たちの闘争を先祖代々の土地を奪ったイスラエル人と戦うのは正義の戦いだと主張して胸を張っている。

かつてキリスト教徒が十字軍を作ってキリストと敵対する宗教を悪と決めつけて異教徒を殺戮して回ったが、その殺戮を正義だと胸を張っていたのである。

同じことはイスラムが布教していく中でも見ることができる。オスマン帝国がキリスト教もユダヤ教も弾圧して迫害していく歴史はヨーロッパ人は今でも知っている。

オスマン帝国はイスラムを正義と見なし、その他を悪と見なしたのである。

しかし、私たちは冷静な目で歴史を振り返ると、正義を主張していた国や宗教や人たちには特に正義の根拠も何もなく、ただ自分たちの立場を正当化しているだけだというのが見えるはずだ。

正義を強調している人は、暗に自分の立場が有利になるように正義を利用しているわけで、単なる利己主義者、利益誘導者だということもできる。

正義という言葉は悪用されやすく、人々は騙されやすい。あまりにも内容のない正義が多いので、もう正義という言葉は信用しないほうがいい。

タチの悪い国、タチの悪い人たちがいる。彼らは、意図的に二元論で集団を分離し、暴力を正義と結びつける。しかし、誰もその深層に気がつかない。騙されるのである。

騙されないためには、私たちも自衛する必要がある。

まずは正義という言葉が「騙しのひとつ」であることに気がつくべきだ。

正義とは胡散臭いものであり、一方的なものであり、信じるに値しないと思うくらいで釣り合いが取れる。正義はどこにもない。正義の名のもとに行われた暴力なら、どこにでもある。




家族や友人を殺された人たちにとって、相手は正義の味方ではない。二元論の中では、正義という言葉自体が騙しの言葉である。

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