2013-04-27

競争は素晴らしいと単純に思っていたら、自殺に追いやられる


強者が弱者を「合法的に抹殺する」ために考え出された仕組みとは何か。

それは「自由競争」という概念を取り入れることだ。

多くの人は「競争とは素晴らしいもの」「競争でお互いが成長する」「競争で優れた物や人が生き残る」と勘違いしているが、それは一方的な見方だ。

あなたもそう考えているのであれば、もしかしたら、あなたは誰かに洗脳されたのかもしれない。

あなたは、誰に何を言われても「競争は素晴らしい」と一方的に思ってはいけない。

競争が成り立つのは、一定の条件やルールが守られている時の話だ。もしその条件とルールが満たされていないと、どうなるのか。

ルールのない競争、すなわち自由競争は、強者が合法的に弱者を叩き殺す「殺戮ショー」になってしまうのである。しかし、世の中には「ルールを撤廃して自由に競争すべき」だという人も多い。


現実の社会は、スポーツとまったく違う世界


競争が競争として成り立つ条件を考えて欲しい。たとえば、スポーツの世界では、そのスポーツが成り立つために様々な条件やルールが課せられる。もちろん、反則も許されない。

なぜ、条件・ルール・罰則が決められるのかというと、それを決めないとスポーツにならないからだ。

たとえば、分かりやすく言えば、ボクシングは体重別に細かく階級が分かれている。それは、最も軽い階級と最も重い階級の人間が戦ったら、どう考えても重い階級の方が難なく勝ってしまうからだ。

たとえて言えば、幼児と大人がボクシングをしたら、幼児がどんなに天才的な才能を持っていたとしても、大人の一撃で叩きのめされてしまうだろう。場合によっては殺されてしまうかもしれない。それでは競争にならない。

あるいは、プロボクサーと素人が戦うことになって、素人が銃を持っていたとしたらどうだろうか。いくらプロボクサーでも撃ち殺されてしまう可能性が高い。それはスポーツと言わないだろう。

競争を成り立たせるために、条件があり、ルールがあり、罰則があり、フェアプレイの精神があって、やっと競争は成り立つ。

では、スポーツから現実社会に目を転じて欲しい。現実の社会はスポーツのようにしっかりと競争が成り立つようにできているのだろうか。

100億円の資産を持った人間と、100万円の貯金しかない人間の競争が成り立つだろうか。社員1人しかいない会社と社員1万人の会社の競争が成り立つだろうか。

現実の社会ではスポーツと違って「同じ土俵」が用意されることはあり得ない。「同じ条件」も「同じルール」も「フェアプレイ」すらもない。


スポーツが成り立つのは、条件・ルール・罰則があるから。現実の社会に、そんなものは何もない。

上には、どこまでも上がいる


多くの人は金持ちになりたいと願い、そうでなくても100万円でも200万円でも多くの貯金が欲しいと考える。つまり、多くの人は資産獲得のための競争に参加する。

生きるためにはカネが必要であり、カネを得るためには世界中の多くの人と競争になる。

それは、もちろん条件もルールもまったく違う中での競争であり、条件の中で勝敗は一瞬にして決まる。

あなたが日本で働けるというのは運が良かったのかもしれない。もし、あなたがインドの農村に生まれていたら、1ヶ月の賃金は1万円に満たない。

日本人の若い女性は月10万円「しか」もらえずに「食べていけない」と言うが、それでもインドの農村に生まれるよりも10倍も賃金をもらえる。

では、月10万円の日本人の若い女性は資本主義社会の強者なのだろうか。確かにインドの農村の人たちに比べればそうかもしれないが、単純に勝者とは言い難い。

同じ仕事をしている年上の日本人男性が月20万円もらっているとしたら、性別年齢が違っているだけで2倍の差を付けられていることになるからだ。

では、月20万円をもらっている人は勝者なのだろうか。この人は年間240万円だ。いや、ボーナス等をもらったとして年間300万円が確保できているとしよう。

一方で、1億円相当の株式を持っていて、年間3%の配当がもらえる人がいるとする。すると、その人は何もしなくても年300万円の不労所得が手に入る。

一方が必死で働いて手に入れる300万円を、もう一方の人は単に株式を持っているというだけで、遊んでいても300万円が手に入るということになる。

では1億円相当の株式を持っている人は勝者なのだろうか。

いや、世の中には10億円、100億円、1000億円の資産を持っている人たちも大勢いる。上には、どこまでも上がいる。


泥まみれになって働いて1日300円〜400円にしかならない社会もある。

かなりの確率で、それは弱肉強食になる


もしあなたが、100万円くらいの貯金しかなかったとする。

あなたが世の中に出て勝負しようとしたとき、その時点ですでに1億円以上の資産を持つ人に資産運用で叩きのめされることになってしまうだろう。まったく、競争にならない。

競争にならないのは、資産運用だけの話ではない。

たとえば、あなたがたった1人で何かの会社を設立したとする。その時点で、あなたと同じことをしている100人規模の会社があったら、あなたは叩きのめされる可能性がある。まったく、競争にならない。

あなたが誰もしたことのないビジネスを手がけるとする。それが儲かり出すと、あなたの100倍も1000倍も規模も資金もある会社が乗り出してくると、もう勝負にならない。

ボクシングで、幼児と大人が殴り合うような「殺戮ショー」は絶対に開催されることはないが、現実の社会では幼児と大人どころではない途方もない差を持った勝負が行われるのである。

もちろん、小が大に勝つケースもあるが、かなりの確率でそれは弱肉強食になる。最初から勝負にならないし、最初から小は勝つ見込みがない。

地元のレストランは、チェーン・レストランに勝てない。地元の本屋は、大資本の本屋に勝てない。

創意工夫をして、何とか生き残ることはできるかもしれないが、最終的に大資本に勝てる見込みはほとんどない。

大企業がその気になれば、小資本の競争相手など簡単に叩き潰すことができるのである。

これからやって来るのは、弱者大虐殺の時代


同じことが多国籍企業と通常企業にも言える。多国籍に展開する企業は往々にして超巨大資本で通常の企業を叩きつぶして独占を欲しいままにする。

いくら優れた製品を出している企業であっても、資本力のある多国籍企業の凡庸な製品が優れた製品を出す企業を叩きつぶしてしまう。

優れた製品を持つ会社が生き残るのではなく、大資本があって他社を叩きつぶせる企業が生き残る。それが、競争の冷徹な一面である。

そういった現実を踏まえて、国家間・企業間で「自由競争」がすべてに取り入れられたらどうなるのか考えて欲しい。

そもそも、企業競争のすべてが自由化されたら、誰が有利なのだろうか。もちろん、大資本を持った大企業、言うならば多国籍企業が圧倒的に有利になる。

地場産業など、完膚なまでに叩き潰される。まったく、勝負にならない。幼児と大人のボクシング以上の常軌を逸した勝負になる。

つまり、「条件」や「ルール」や「罰則」等を完全に撤廃して何でも自由に競争しろというのは、強者が弱者を「合法的に抹殺する」ための仕組みなのである。

どんどん弱者を淘汰することが可能になる。

競争が成り立つのは、一定の条件やルールが守られている時の話だ。そうでないのであれば、すでに勝者である者がますます勝ち、すでに敗者である者は持っているものすらも奪われることになる。

グローバル社会というのは、すべての条件・ルール・罰則を撤廃して、何でもかんでも自由化する動きになるので、勝者と敗者の二極分化はさらに進んでいく。

これから何が起きようとしているのか「読めた」だろうか?

競争が素晴らしいと単純に思っていたら、いつの間にかあなたは自殺に追いやられるかもしれない。これからやって来るのは、そういった弱者大虐殺の時代だ。

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