2013-01-11

最もシンプルな経済サバイバルとは、優良企業の株を買うこと


ブラックマンデー、日本バブル崩壊、アジア通貨危機、ロシアデフォルト、LTCM倒産、ITバブル崩壊、911事件、リーマン・ショック。

株式市場というのはタンス預金とは違う。市場は10%でも20%でも暴落するし、場合によっては50%、60%という大崩壊を演じることもある。

株式市場を直撃した大崩壊撃は、そのたびに夥しい人を破産の淵に追いやってきた。市場が暴落しなくても、自分が買った株式だけが大暴落するというケースも普通にある。

しかし、それで死ぬのは「相場師」と「投機家」である。きちんとした優良企業に、長期で投資している本当の意味の「投資家」は暴落しても死ぬことはない。

やがては経済が落ち着くと、株式市場は暴落した分を取り戻し、さらにその上を目指す。結果的に、「投資家」だけが生き残る。

今後数十年に渡って「多国籍企業」は国家よりもしぶとく生き残り、あらゆる意味で国家を凌駕する存在となる。


株式が危ないという認識は合っている


そうであるならば、一番安全な場所は企業が資金調達をする場、すなわち株式市場であると考えるのは特に奇異な説ではない。

ところが、世の中はこれとまったく真逆の結論になっている。「株式は危険だ」「株式市場には近づくな」というのがコンセンサスだ。

ニューヨーク株式市場も、ヨーロッパの株式市場も、日本の株式市場や中国を含む新興国の株式市場も、ありとあらゆる市場がリーマン・ショック以後に大きく傷ついた。

世界経済は、ダウン寸前のボクサーのようにふらふらしており、文字通り政府の救済によって生きながらえている。

その政府もまた救済に注ぎ込んだ資金が税金であったことから2011年には「ウォール街を占拠せよ」という叫び声と共に、批判の矢面に立たされた。

救済した銀行は、強欲で破廉恥な経営者が、多額の資金を私利私欲で懐に入れている。

彼らは莫大な年収に見合うだけの働きはしていないので銀行株は軒並み売られ、中央銀行でさえ「さっさと解体してしまえ」と言われるようになった。

国は国債をばらまいているが、その国債というのは「政府の借金」なのだから、莫大な累積債務を抱えた政府はやがて倒れて行かざるを得ない。

政府が債務不履行に追い込まれてしまうと、もはやいくつかの大銀行は助からない。買い上げられてきた株式市場も、地獄のような暴落を引き起こす可能性もある。

たとえば、日本政府が累積債務を抱えたまま倒れれば、国債を買ってきた日本の大銀行は首を並べて討ち死にする。

だから、株式が危ないという認識は、あながち的外れでも何でもない。危うい時代に入っているのである。

15年間の備蓄などできる人はいない


「世界恐慌」は1929年10月24日に起きた。

全世界を巻き込んで莫大な悲劇を生み出したこの恐慌から株式市場が立ち直ったのは第二次世界大戦が終わった1945年以降の話だ。

つまり、15年間以上もの間、世界は激しい金融収縮で地獄に呻いていたということになる。

1930年代の地獄は大戦争を生み出して、それが終結したのが1945年である。

実際には好景気は1950年代に入るまで待たなければならなかったが、約20年間、世界に「経済活動」などなかった。

第二次世界大戦では全世界が都市空爆によってがれきと死体の山となって、兵士だけで1,000万人近くの人間が死亡し、それを上回る怪我人も出た。さらに民間人も数百万単位で死亡、行方不明者も100万人単位である。

民族浄化(ジェノサイド)の対象になったユダヤ人のような人種もいれば、東京大空襲で10万人、2回の原爆投下で40万人以上が殺された日本人のような国民もあった。

前回の世界恐慌とは、そういった世界だった。

しかし、そんな時代の中でも、信じがたい話だが株式市場は開いていて、株式が売買されていた。

そして、国策企業については国のために株式を買うことを奨励さえされていたのである。

日本でも戦中に金属会社や化学会社が設立されたり、合併されたりしていたし、敗戦する前年の昭和19年でも満州鉄道の株や三菱グループの株が売買されて増資を募っている(満鉄は翌年に清算された)。

1929年、世界大恐慌を告げる株式市場の大暴落が起きた。
それから15年、経済は破綻したままだった。

「隣組監視」と「密告」と「非国民」


1945年(昭和20年)、大日本帝国も、国策企業である満州鉄道も吹っ飛んでいった。

しかし、三菱や三井、住友といった財閥、日清紡、鐘紡等、当時の日本を代表する企業群は国とは関係なく生き延びた。

もっとも、1945年8月15日から株式市場は「休会」を余儀なくされており、これにGHQ(連合軍総司令部)の財閥解体命令もあって実際に東京証券取引所が開始するのは1949年4月1日になる。

この当時は日本人の誰もが生きるか死ぬかのサバイバルに明け暮れていたので、株式どころではなかったのは間違いない。

しかし、これらの株式を抱えて大事に持っていれば、なんと地獄のような世界恐慌を乗り切って生き残ったばかりか、さらに抱えていればそれが戦後の高度成長によって、数十倍、数百倍もの資産を生み出すものとなった。

一方で、心強いはずの現物資産は逆に接収されて戻ってこなかった。

これは日本政府が接収したというよりも、日本軍が接収したものだ。特に、昭和17年〜18年に起きたのは、徹底的な収奪だった。

「日本のため」「国家のため」に、最初は金・銀・プラチナ・ダイヤモンドが接収されており、これを拒めば「非国民」と罵られ、憲兵に拷問される時代だった。

美術品などは役に立たないので、まっさきに接収された。敗戦が濃厚になる頃には、金銀どころか、仏壇のお鈴(りん)、磬子(きんす)から火鉢、ナベ、ヤカンまで接収されている。

以前、このあたりの事情を知る年配者に実際のところはどうだったのかを聞いたことがある。

接収を何とか逃れようと、金銀を壺に入れて埋めて隠した人も多かったが、「隣組監視」と「密告」があって、もしバレたときは非国民と罵られて、村八分にされることすら覚悟しなければならなかったという。

戦時中に村八分されるというのはどういうことか。「それは、死に直結しかねない行為でした」と、当時を知る人は言う。

ある武家出身の一族は、先祖代々の「名刀」を何とか守りたいと考えて、それを30本を包んで縛って井戸に隠していたが、やはり密告されて没収され、その後、夜逃げを余儀なくされたと言う。昭和19年の話だ。

生きるか死ぬかのサバイバルを強いられた終戦直後の日本人。
この経済破綻時も、優良企業は生き延びていた。

むしろ歴史は逆だった


鉄やプラチナは戦艦や戦闘機の材料になり、金はマル福金貨のようなものになって戦費の賄いにされた。

そして、敗戦後、これがGHQ(連合軍総司令部)が日本に乗り込んで来る前に、なぜかタイミングよく「消息不明」になった。

これが「隠退蔵物資事件」と言われるもので、辻嘉六なる男が政治資金として活用したという話もあるが、真相は何がどうなのか確かなことはひとつもない。

ひとつ言えるのは、国民は隣組と密告による相互監視の中に置かれ、持っている現物資産を根こそぎ奪われ、出さなければ非国民と指さされて拷問され、ひどいときには村八分されたということだ。

一方の株式は政府が満鉄を買うように国民を煽っていたことも見て分かる通り、接収の対象にはなっていなかった。

一概の歴史を見ても分かるように、もし世界恐慌が再来したとき、現物資産を持っているから大丈夫などと思っていれば、かなり痛い目に遭う可能性もある。

要するに、どれが良い、どれが悪いではなく、「株式市場が全世界を巻き込んで地獄に転がり落ちていくときは、他の資産も無傷でいられるはずがない」のである。

備蓄しても、田舎に引っ込んでも、大恐慌は半年や1年で終わるものではないので、その後のことを考えると気休めにしかならないこともあり得るだろう。

だから、現物資産が安全で、株式が危険だというのは、それほど根拠のある話でもなく、むしろ歴史は逆だったとも言える。

今の日本は「隣組はない」と言えるが、すべてがデジタル化しており、政府による国民監視は昭和初期の時代よりもむしろ高度になっている。

株式が死ぬというのであれば、現物資産もまた安泰ではない。

株式市場の暴落が恐怖で夜も眠れない、暴落が怖くて株なんか持てないと言うのであれば、絶対に株式に近寄らないことだ。

あるいは、どうしても企業価値の評価や財務諸表の分析ができないというのであれば、ゴールドを持っているほうが、現金を抱えているよりずっといい。

しかし、国が死んでも、一部の多国籍企業は地獄を這ってでも生き残るのだと考えるのであれば、株式はそれなりに目を向けてもいいのではないだろうか。

生き残るものに賭けるのは、当たり前のことだ。



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