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2012-12-18

マヤの予言のような与太話を説いている人間は、100%詐欺師だ


マヤ文明は非常に高度な天文学・科学技術を有していたのはよく知られている。巨大なピラミッド、高等数学が記録された超高度な文明だったのだが、このマヤ文明を最も有名にしているのが「マヤ・カレンダー」と呼ばれるものだ。

マヤは1年が365日であることを正確に計算しており、その制度も非常に高かったと言われている。

そして、このマヤの「クワウティトラン年代記」に「西暦2012年12月22日」に「第五の太陽の時代」とマヤが呼んでいた時代が終焉すると記録されているのだそうだ。

終わると言っても、2012年が終わって2013年が始まるというような継続の意味であればいいのだが、「地球が終わる」「人類が終わる」という解釈をする人も多くいて、世界中で大騒ぎになっている。

しかし、どこかで聞いた話だ。

確か1999年にも、誰かが地球が滅びるだとか何とか言っていたはずだ。また同じような「終末詐欺」が行われているのである。


なぜ宗教は「終末思想」を必要としたのか


キリスト教には、ヨハネの黙示録に代表されるような薄気味悪い「終末思想」というものがある。

「歴史には終わりがある」というものだ。最後の審判で人類が滅亡状態になり、神を信じている純潔の人間だけが生き残ると、そこでは説かれている。

「人間の世の中は混乱し、乱れ、天変地異が起きて、絶滅一歩手前まで追い詰められたときに、キリストが再臨する。そしてイエス・キリストを信じている人だけが助かり、それ以外は全滅する。それ以降はミレニアム(1000年王国)がやって来て、人類は平和に暮らす」

これが、その終末論のあらましだ。

普通の人は、聞いただけで馬鹿馬鹿しいと一笑に付すような内容である。こんなことを真剣に言う人がいれば、頭がおかしいとすら思うだろう。

ところが、この頭のおかしな与太話が、なぜか人類の歴史で繰り返し繰り返し蒸し返される。

以前にも、1999年に人類が滅びるという馬鹿な与太話があったが、覚えている人も多いと思う。

あの馬鹿騒ぎで懲りたのかと思ったら、今度は2012年に人類が消滅すると大勢が言い出して、2012という映画まで作られる始末だ。

別に誰が何を信じようと自由だから、こういった与太話を信じたい人は勝手に信じていればいい。

だが、それにしても、いったいなぜ宗教は「終末思想」を必要としたのだろうか。

多くのカルトもその思想の中に終末思想を取り込んでいるが、なぜそれは定番のようにカルトの中に取り込まれるのか。

マヤ文明は、勝手に終末論に結びつけられてしまった。
これはマヤ文明にとって非常に迷惑で不幸な話だ。

宗教を利用した「詐欺の一種」


よくよく考えれば、それは一種の詐欺だというのが分かる。終末思想を説くカルトは常に教祖(大抵は男)は、自分が預言者であることを宣言してこう言う。

・世の中は終わる。預言されている。
・しかし、私を信じれば助かる。
・助かりたければ、男は私に金を出せ。
・助かりたければ、女は肉体を私に出せ。

要するにこれは、単なる宗教を利用した「詐欺の一種」なのだということが分かる。

もちろん、世の中に終わりが来るというのは、言うのは簡単だがそれを信じさせるのは難しい。

だから、権威付けに由緒ある「ヨハネの黙示録」だとか「マヤ」だとか「ノストラダムス」だとかを持ち出す。そして、お前は何者だと言われたときには、こういうのだ。

・自分はキリストやアラーの生まれ変わりだ
・自分は預言者である
・自分は神と会った、啓示を得た

こういうことを言っている人は、ほぼ100%は詐欺師であり、こういったものを信じている人はほぼ100%はカモであると断言してもいい。

「お湯を熱し続ければ100度で沸騰する」とか「資金繰りに窮した企業は近いうちに死ぬ」といった確実性の高い推測と、「マヤの予言で地球は崩壊する」とか、「私を信じれば救われる」という抱腹絶倒な与太話を同じ次元で捉えてはならない。

宗教を利用した「終末論」は、そのほとんどが信者獲得のためのツールであり、洗脳に導くための詐欺でしかない。

ノストラダムスが何を言おうが、麻原彰晃が何を言おうが、ヨハネが何を言おうが、マヤが何だろうが、それらはすべてよく知られた「詐欺の手口」なのである。

「終末詐欺」という詐欺だ。

宗教そのものが、一種の「思想詐欺」


この「終末詐欺」というのは、自分が預言者だと吹聴して、「もうすぐ地獄が来る」「信じないと地獄に堕ちる」「助かるには私を信じなさい」と相手をそそのかして、相手に取り込む。

幸か不幸か、ヨハネの黙示録は抱腹絶倒・荒唐無稽・恐怖描写のオンパレードだ。読んでも、何が言いたいのか意味が分からない。だから、逆にこれは詐欺師にとって利用価値のあるものになる。

詐欺師はこれを勝手に解釈してあれこれ言うのだ。何を言っても、それが本当の解釈かどうか分からないから都合がいい。分からないから言いくるめることができるのだ。

そうやって、ヨハネの黙示録は、終末詐欺に欠かせない「小道具」「ツール」となっていった。

宗教というのは、どれもこれも見事なまでに嘘と荒唐無稽と都合の良い話で覆いつくされている。

キリスト教やイスラム教やヒンドゥー教という世界の三大宗教は、すべて同じだ。宗教そのものが、一種の「思想詐欺」みたいなものなのだ。

それに輪をかけて「終末思想」も詐欺の匂いがプンプンしている。「信じないと救われない詐欺」だ。

宗教というのは、歴史が長いので、このように「信じないと救われない」と脅すものが実に莫大なバリエーションがあって、しかも狂信者も多いし、文献すらも用意されている。

相手を取り込むための荒唐無稽な作り話が次から次へと作り出されては、それが面白おかしく広がっていく。何百回もそんなものを聞いていると、どうしても取り込まれてしまう。

関わらせることこそが詐欺のテクニック


そんなものには関わらないほうがいい。関わらせることこそが詐欺のテクニックだからだ。

取り込まれ、関心を持ち、「ヨハネの黙示録の謎を論破しよう」と読み始めたら、そこから迷宮に引きずり込まれて、「答えを教えてあげよう」という詐欺師に釣られる。

詐欺師が聖職者の格好をして現れるのである。

多くの解釈ができるものは、実は誰かにとって都合の良い解釈で誘導することができるということだ。

読んで意味が分からないものは、分からせないために書いているのであって、分からせないために書かれた文章は、たいていは「裏」がある。

終末思想は、宗教が仕掛けた罠である。クモの巣に絡み取られないように気を付けたほうがいい。恐怖と、興味というエサであなたを釣っている。

彼らは終末思想の脅しで取り込み、好奇心で取り込み、やがて宗教に誘い込んで抜けられなくしていく。本当に泣いたりして訴えてくる

普通、あまりにも荒唐無稽な話というのは、「すぐに見破られるはずなので、騙されるほうが愚かだ」と第三者は考える。

しかし、それを喧伝する人間が、あまりにも自信たっぷりで、情熱的で、激しい口調で、演出感たっぷりに話をすると、どうなるのだろうか?

「話す内容」よりも「話す態度」に目がくらむ人が出てくる。雰囲気に飲まれる、という表現が一番しっくり来る。「もしかしたら本当かも?」と心が逆転していくのである。

世間知らずの若者が騙されることが多いのは、子供が親の言うことを心から信じるのと同じ心理状態だ。

ヨハネの黙示録は、カルトに好都合な荒唐無稽のオンパレード。
恐怖と、興味というエサで人を引きつけて取り込む詐欺のツール。

与太話を真顔で話す人間が増えてきた


かつて、ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐と名乗る結婚詐欺師がいた。

この男は「自分はアメリカ空軍のパイロットで、父はカメハメハ大王の末裔、母はエリザベス女王の双子の妹の従姉妹」と名乗っていた。

背の低い、いかにも胡散臭い男が、「カメハメハ大王の末裔」と叫ぶことが馬鹿げているが、それでも次々と女性が騙されて、総計で被害総額1億円にもなったという。

本当であると思わせるような雰囲気、本当だと思わせるような燃え上がるような自信が、人々を飲み込んで、嘘がまかり通ってしまう。

たとえば、荘厳な建物、荘厳な衣装を着た人間が、傲慢なまでの態度で何かを主張すると、たったそれだけのことで、それに騙される人間が出てくる。

こういった舞台装置で人々を騙すのが宗教のやり口で、とにかく非常に「演出」に凝る。「絶対感」を徹底的に醸し出す。しかし、口から出る言葉は胡散臭い。

胡散臭いと思ったら、漫然と信じていたものでも立ち止まってよく考えてみて欲しい。

あなたは、その内容ではなく、口調に騙されているかもしれない。カリスマの演出に、カリスマ的な態度に、カリスマの見栄とはったりに、あるいは荘厳な建物や雰囲気に騙されているのかもしれない。

情熱的な詐欺師は、情熱的な口ぶりで感情を揺さぶり、自ら涙を浮かべたり、本当に泣いたりして訴えてくる。それでも、胡散臭く、信じるに値しないものは信じる価値もない。

「神が歴史を終わらせ、人類を滅亡させ、キリストが再臨し、一握りの正しい人が救われる」

こういった与太話を真顔で話す人間が増えてきたので、注意して欲しい。みんな、口のうまい虚言癖、嘘つき、食わせ物、ペテン師である。





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