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2011-12-26

意図的に、日本人が暴力に「目覚めない」ようにされている


人類は、歴史のどの瞬間を切り取っても、常にどこかで戦争をしてきている。これを指して、アーネスト・ヴォルクマンは著書『戦争の科学』の中で、「人類の歴史は戦争の歴史だ」と述べた。

戦争が続いていたのであれば、「これからも戦争はなくならない」と思うほうが自然だ。人類に戦争のなかった年はなく、人類に紛争がなかった年もない。

そして、戦争とはそのほとんどが略奪である。「土地の略奪」であり、「資源の略奪」だ。

欧米は植民地を持って、アフリカやアジアを収奪していた。だから、「先進国」なのである。アフリカやアジアは収奪されていた。だから「後進国」だったのである。


破綻してしまった国家もある


その国がその時代の先進国・後進国になったのは、歴史的に人々の素養や知性は関係ない。戦争に勝ったか負けたかの結果でそうなった。

奪われたら、後進国になる。

紛争、闘争、暴力、戦争、破壊は時代遅れだと言う人がいる。いや、時代遅れではない。それは人類から切り離せない「本質」だ。

「食事」が時代遅れ、「性行為」が時代遅れ、という人はどこにもいない。「暴力」も同じだ。

それは人間の本能に刻み込まれたものであり、どんなに時代が変わっても、絶対に、何があっても消え去ることはない。

嘘だと思えば、今日の新聞を読んでみればいい。昨日の新聞を読んでみればいい。必ず暴力の記録がそこにあるはずだ。

いつの時代のどこの国の新聞でもいいから、適当にそれを手にとって読んでみればいい。暴力の記載されていない新聞はどこにもない。

人間の社会・文化・歴史には否が応でも「暴力」がついて回るのである。良い悪いは関係ない。様々な暴力が存在しており、だからこそ、「暴力は重要」なのである。

もちろん誰でも平和を愛しているし、戦争が生活を破壊するのは許しがたいと思う。しかし、平和を愛しても、それで戦争がなくなるというのは空想だ。

世の中は成功している国家ばかりではない。中には悲惨な歴史を持つ国家もある。

貧しい国家、失敗した国家、追いつめられた国家、腐敗した国家、資源のない国家、強欲にまみれた国家……。

人間社会でも、貧しい人もいれば成功した人もいるのと同じ理屈だ。国家にも個性があって、中には破綻してしまった国家もある。追い詰められている国家もある。あるいは「気の短い好戦的な国家」もある。

そんな国家が「うようよ」あって、サメのように獲物を探している。いくら自分だけ平和主義でいようと思っても無駄なのだ。人間は、遅かれ早かれ暴力から逃れられないときが来る。



富の源泉は、知性ではなく、暴力にあった


略奪は、相手を圧倒する圧倒的な軍事力で成し遂げられる。

かつて欧州はアジアを植民地にして莫大な富を収奪してきた。それらの略奪が可能だったのは、欧州の軍事力がアジアよりも勝っていたからだ。

インドで苛烈な収奪がなされていたとき、ヨーロッパは略奪で得た富と贅に囲まれて、物憂い社交ダンスで恋愛沙汰にうつつ抜かすことができた。

豪華絢爛で華美な上流階級の生活を支えたのは、植民地から収奪された富である。欧州は圧倒的な軍事力を持っており、それでアジアやアフリカを次々と屈服させることができた。

アメリカが日本を屈服させることができたのも、やはりアメリカの軍事力が日本の軍事力よりも勝っていたからである。

暴力を振るうのが一番うまい国が頂点に立つ。それが「歴史」なのである。

勘違いしてはいけない。欧米の富の源泉は、知性ではなく、暴力にあったのである。

だからアメリカもソ連(ロシア)も最強の兵器である「核」を大量生産して優位に立つために何でもした。優位に立ってどうするのか? もちろん、略奪するのである。

欧米の富の源泉は、暴力・略奪・奴隷化にあった。

暴力が機能しないのであれば衰退


ところが、アメリカやソ連が追求してきた核は、それを使えば人類そのものが破滅してしまう。それは使えない武器になっていった。

だからベトナム戦争でアメリカは強大な軍事力を持っていながらも長期戦に耐えきれずに敗退した。

ソ連もアフガン侵攻で長期間のゲリラ線に戦費がまかなえきれずに国が倒れてしまった。

ソ連は軍事的優位性が消えた瞬間に国が分裂したが、それは暴力で相手(アフガン)を屈服できなかったからそうなったと言える。アフガンを暴力で押さえつけようとしたが、アフガンの暴力のほうが執拗で粘着的だった。

だから、ソ連はその長期に及ぶ暴力で崩れ去っていった。つまり、暴力で負けたのだ。

アメリカも巨大な暴力でイラク・アフガンに侵攻して勝利を得たように見えたが、執拗なテロ攻撃を仕掛けてくるイスラム・ゲリラを屈服させることができなかった。

戦争を仕掛けたのに、何も略奪できないでオバマ大統領は軍を撤退させた。その分の「戦費」は無駄金になった。どこかで取り返せないのであれば、衰退しかない。

アメリカの富の一極集中というのは、相手から奪うことで成り立っている。奪えなかったのであれば負けだ。

これによって、アメリカという国家はそれで何に困ったと思っているのか。それは、自分たちの持っている「暴力の源」である軍隊の力が減退するのを困ったと思っているのだ。

どんなことがあっても、「暴力の源は機能しているべきだ」というのがアメリカの考えである。いや、それこそが全世界の国家の考えなのである。

中国もそうだ。それで、暴力を振るうための軍隊を強化する。そうしないと、略奪できないだけでなく、略奪されてしまう危険性も抱え込む。

暴力を振るうための軍隊を強化していく中国

憲法第九条という「刀狩り」


「暴力は絶対的に機能していなければならない」と全世界の国家が考えている。

日本が戦後から、いつまでも外交的弱者になっているのはなぜか。それは憲法第九条という「刀狩り」で「暴力を奪われたから」からである。

そして、日本人が平和主義に洗脳されてしまったからだ。

第二次世界大戦の敗戦で、日本人は徹底的なアメリカの暴力の前に服従し、暴力という「本能」まで奪われた。

日本人は「優しい民族」だと戦後の日本人は洗脳され続けているが、それは大間違いで、本来の日本人はアジアでも最大の暴力国家だった。

戦国時代の「戦国」というのは、刀や銃を持って相手を物理的に殺していた時代を指している。武士が持っていた刀は人間を切り裂くための武器だった。

剣道は他人を斬り殺すための稽古だった。空手は相手を殴り殺すための稽古で、柔道は相手を絞め殺すための稽古だ。

そして、日本人の礼儀正しさは「無礼であれば殺される」という緊迫感から生まれたものだ。無礼を働いた者は殺しても良かったし、殺されてもしかたがなかった。

日本人は暴力を追求してきた民族だったのだ。

しかし、1945年の無条件降伏から日本人は暴力を奪われ、しかも平和主義に教育された。「草食男子」という言葉も流行ったが、なぜか「意図的」に日本人が暴力に目覚めないようにされている。

そして、ついに暴力主義を極端に忌避したり、捨て去ってしまった日本人が圧倒的多数になってしまった。国家まで、国土が侵略されても「話し合い」「協調」しか考えない。

日本人は、1945年から暴力を奪い取られた

暴力には暴力で


「暴力には暴力で」「侵略には侵略で」という発想が今の日本にはない。それが如実に現れているのが、尖閣諸島問題であり、竹島問題である。

あなたの知っている政治家で「竹島を死守するために韓国を攻めろ」「中国を攻めろ」という政治家がいるだろうか。恐らくいない。

なぜいないのか。「暴力を奪われている」からだ。いびつな平和憲法で縛られているというのもあるし、いつの間にか平和主義が刷り込まれてしまっている。

防衛できない国家は衰退するのは当たり前のことだ。そして、略奪できない国家は富を失うのも当たり前のことだ。

アメリカが暴力を棄てないのはなぜか。中国が軍拡に走るのはなぜか。それは、相手国を破壊して資源(石油や金や農作物)を収奪することができるからである。

それを古臭いという人もいるが、まったく見当違いだ。

「人類は、歴史のどの瞬間を切り取っても、常にどこかで戦争をしてきている」のである。これからも、暴力は物を言う。

暴力は、相手国を破壊して収奪の草刈り場にできる。暴力は今でも有効なのである。

だから、軍を持ち、暴力を発展させるのは、無意味でもないし、時代遅れでもない。時代遅れ、という発想そのものがおかしい。

アメリカや、韓国や、中国が、意図的に日本人が暴力に目覚めないように押さえつけており、意図的に平和主義を刷り込んでおり、意図的に優しくあるように売り込んでいる。

こういった国家による暴力を取り上げると、すぐに、右翼・左翼の思想を持ち出す人間がいるが、暴力そのものはそういったものとはまったく関係ない。

資本主義国家でも、共産主義国家でも、宗教国家でも、すべての国家が「暴力」を必要している。暴力は思想に関係なく存在している。

そもそも、「暴力」は人間が歴史を作り始めた当初から存在している。

さらに言えば、「思想」が生まれる前からすでに暴力はある。暴力は人間の本能に刻み込まれているのだから、暴力は「思想」で括ってはいけないのである。

暴力は、思想としてではなく、人間の本質として理解しなければならない。

戦後日本から失われたのは暴力だ


戦後日本から失われたのは暴力だ。だとすれば、暴力を取り返すことが、新しい日本を作る原動力になる。そして、暴力への覚醒が日本の復興になる。

つまり、日本人が日本人として生存したければ暴力的にならなければいけないのであって、草食人間や植物人間になることではない。

なぜか、ありとあらゆるメディアが日本人から暴力を奪おうとしているのだから、日本人がしなければならないのは、逆に暴力を肯定することだ。

奪われた「暴力」を取り返すことだ。暴力という本能を認め、暴力という本質を見つめることだ。

多くの国で、暴力が国家を動かし、国家が暴力を持っている。そんな現実を自覚し、日本も遅ればせながら暴力に目覚めることが必要になってきている。

しかし、日本社会では「憎悪」を持つことすら許されない雰囲気になっている。

そして、社会が「憎悪」や「暴力」をことさらに否定するので、「あきらめ」しかない国になってしまっているのである。

誰でも暴力の中で生きたくない。しかし、暴力を完全否定してしまっては、正当防衛もできないし、侵略されても対抗もできない。

あなたに襲いかかってくる人間はどこにでもいるし、暴力を振るわれている最中には平和主義であってはいけない。また、侵略するなら暴力で抵抗するというのは当然のことでもある。

相手が暴力を振るうのであれば、こちらも暴力で対抗する。

頭で暴力を考えるから難しいことになるのであって、生存本能に照らしあわせば何ら疑問はない。暴力には暴力で対抗しなければ殺されるのである。

自分の子供が殺されそうになったら親は誰でも相手を殺す。自分の妻がレイプされそうになったら、夫は誰でも相手を殺す。自分の国が侵略されそうになったら、どこの国でも武力で反撃する。

人間はそうやって生き延びてきたし、国家もそうやって生き延びてきた。

相手が棍棒を捨てたら、こちらも捨てればいい。相手が棍棒を持っている間は、こちらも棍棒を捨ててはいけない。そうしないと、自分の存在が「消される」のである。

だから、とにかく頭ごなしに暴力を否定するのはやめたほうがいい。理想主義に陥ってはいけない。日本人は、頭でっかちになりすぎている。


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